言葉を感じる

照喜名 弘彦

2022年11月24日 10:33

心が弱りきっているときのポジティブな言葉ほど、
ウザいものはないですよね。


「乗り越えられる試練しか与えられない。」


とか。


「病気は自分で選んだ。その病気になることで体験したいこと・気づきたいことがあった。」


とか。


うるさい。
ほっといてくれ。
お前にはおれの気持ちなんかわからない。


ココロもカラダも弱り切っていた頃の僕だったら、
そんな言葉に対して、
そんなことを思っていたでしょう。


でも、いまはわかるようになってきたのです。


そういう言葉の意味が。


で、そういう言葉って、
アタマ(思考)やココロ(感情)で理解しようと思っても、
できないんです。


カラダ(感覚)で体感するものなのです。


スピリチュアル的なメッセージを発信されている方たちの言葉。


あれは感覚的なものを言葉に変換しているだけで。


あれを感覚でキャッチするのではなく、
思考や感情で理解しようとする、受け入れようとすると、
余計に苦しくなるだけです。


思考や感情では理解できない、
受け入れられないもの。


実はそういうもののなかに、
生きていく上でほんとうに大切なもの、
いのちの本質が隠されていることが多いです。


それに気づくためには、
思考や感情を鎮めて感覚を丁寧に感じ取る時間をつくり、
それを積み重ねていくこと。


「体感」を伴わない「上辺の情報」ばかりを仕入れていると。


どんどん「たいせつな気づき」から遠ざかってしまいます。




リラックスして、
お腹に触れて、
ボーっとしてみてください。


呼吸によってお腹が動いていますね。


ただそれを感じる。


呼吸や動きを評価したり分析したりしない。


ただただ、生命活動を感じることにフォーカスする。


難しいですよね。


思考や感情に支配されている人ほど、
難しいです。


アタマを使うのに、
考えることに、
慣れすぎてしまっていますから。


ほとんどの現代人は。


でも、カラダを感じる時間=思考や感情が鎮まる時間が、
少しずつ増えてくると。


人生の質が根本から変わってきます。


カラダがなにを訴えかけているのか、
自分が自分として生きていくのになにが必要なのか。


「感覚」でわかってきます。


僕もこうやって「言葉」を使って発信をしているのですが、
「言葉」で伝えられることには限界があるというか、
「言葉」にするとどうしても表面的になってしまいます。


「言葉の奥にある形にならないもの」を「感覚で感じとってもらう」


そういう伝え方ができたときに、
ほんとうに伝えたいことが伝わるのだろうな、
と思っています。


しらんけど。




◆プロフィール

◆施術のご案内

◆オンライン施術のご案内

◆お問い合わせ


関連記事