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2009年06月15日

役割

今日の「こころとからだ塾」は、
Sさんが美味しいチーズケーキの差し入れをくださいました。

糖質を補給したおかげで疲労も感じず2時間しゃべりたいことをしゃべり通しました!

Sさんご夫妻、ありがとうございます!


で、役割。

私たちは、自分にも、他人にも、そしてモノにも、役割を与えています。

例えば、ペンは文字を書く役割。

サッカーボールは、蹴る役割。

蹴る役割を与えているサッカーボールを蹴っても心は痛みませんが、
文字を書く役割のペンを蹴ったら、心が痛みます。

当たり前だと思うかもしれませんが、
極端な例えとして、
世界のどこかのある民族に、
サッカーボールを沖縄でいうシーサーのような守り神として役割を与えている文化があるとします。

その民族は、サッカーボールを守り神だと思い込んでいるのです。

その民族の前でサッカーボールを蹴ったなら、
ウチナーンチュの前でシーサーを蹴ることと同じことになるのです。

その民族は、そんなことをした人に対して憤りを感じるかもしれません。

このように、わたしたちは世間の常識や自らの価値観によってすべての人とモノに役割を与えていて、
役割と違うことをすると、痛みや苦しみ、違和感を感じるのです。

じゃあ私たちに与えられた役割は何でしょうか?

実はそれも、自分で決めることができます。

子供がいる女性は、母としての役割があるかもしれません。

学生には、勉強をする役割があります。

でもわたしたちは、
母になるために生まれてきたわけではないし、
勉強をするために生まれてきたわけではないのです。

母として子供に愛情を注ぐのも、勉強をするのも、「幸せ」という最終目的のための手段にすぎません。

もし私たちに「幸せである」という役割が与えられているとすれば、
ペンを蹴ることに違和感を感じるように、
幸せから遠ざかる行為をすると、違和感を感じるように出来ているはずです。

私たちがストレスを感じるのは、
「幸せである」という目的にそぐわないことをしたり考えたり感じたりするときです。


「わたしたちは幸せであるために存在する」
ということを
「ペンは文字を書くために存在する」
ということと同じくらいのレベルで確信することが出来れば、
何の疑問も感じずペンを「文字を書く道具」として使うように、
何の疑問も感じず幸せであるための生き方を自然に選択できるのかもしれません。


幸せを感じられない人は、必ず自分が不幸である理由を持っています。

お金がないとか、
学歴がないとか、
容姿が悪いとか、
体調が悪いとか、
・・・まぁ挙げればキリがないですが、いろいろ。

じゃあ本当にお金がないせいで不幸だとすれば、
その人よりお金を持っていない人は全員不幸ですか?

体調が悪くて不幸なのだとすれば、
もっと重い病気を患っている人は必ずより不幸でしょうか?

そんなことはないですよね。

外的条件って、やっぱりあまり関係がないような気がします。

自分が自分にどういう役割を与えているか。

人は、自分で自分に与えた役割通りの生き方を選択するように出来ているような気がします。


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Posted by 照喜名 弘彦 at 23:39