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2015年03月25日

頑張らない感覚

スピリチュアルとか心理系を学んできた方々が、

「あぁ、こういうことだったのか」

と腑に落ちる瞬間が、よくあるんですね。

カラダの感覚が変わると。

これまでネットや本、そして講演会などで、
散々耳にしてきたこと。

アタマでは充分理解している。

でも、特に現実が変わるわけではない。

なぜ?

それは、腑に落ちてないからかもしれません。

あるお客さんの例。

「私、『頑張らない』ってどういうことなのか、よくわからないんです。」

自分に自信がない。

自分で自分を責めてしまう。

心身共に緊張状態でガチガチなのは、自覚がある。

「ここに答えがあるんじゃないか」

と、スピリチュアルや心理系に傾倒する。

そこでは、

「頑張らなくていい」

「ありのままでいい」


表現は違えど、そういう意味の言葉が並ぶ。

「そうか、頑張らなくていいのか」

その時は、ココロが楽になる。

が、日常に戻ると。。。

ココロには何年もかけて向き合ってきた。

だけど、内側にある重さは一向に変わらない。

変わらないどころかアレコレ考え過ぎて、余計に苦しくなることもある。

肩こりもひどくなってきて、姿勢も悪くなってきた。

睡眠も浅くなってきて、ほとんど眠れない夜もある。

もう、カラダから変えよう。

そう思い、うちのセッションに来てくださったんですね。

全身ガチガチなんですが、特にみぞおちが固まっています。

この方は個人セッションのお申し込みをメールでいただいたんですが、
その文面に「顔晴る」というワードがあったんですね。

頑張るを書き換えたもので、一部の方々に愛用されているワードです。

頑張らない感覚

「顔晴る」自体を否定するわけではないですが、
そのメールの文面から伝わってくるエネルギーが、
ガチガチだったのです。

アタマ(意識)で「顔晴る」と書いてるけど、
カラダ(無意識)は「頑張る」なんだろうなと。

そういうのが、伝わってくるんですね。

30分以上かけて、みぞおちを緩めていきました。

とはいっても、僕が手技で一方的に緩めるわけではなくて。

「自分自身の意識を変化させることでみぞおちが緩む」

という感覚を体感していただかないことには、
いくら外からの刺激で一時的に緩んでも、
日常に戻り、また

「みぞおちを固める意識」

で生活をすると、そのうちまた戻っちゃうんですね。

僕は最低限のサポートをします。

30分が過ぎて、ようやくみぞおちが緩みはじめ、
顔の血色もよくなり表情が柔らかくなってきました。

「この感覚が、『頑張らない』感覚だと思います。」

笑顔で頷かれました。

「『頑張らないようにしよう』ってアタマで考えるよりも、この『みぞおちが緩い感覚』のままで過ごそうと意識する方が、『頑張らない生き方』ができると思いますよ」

この方は、「自分を自分で責めてしまう」と仰ってました。

が、みぞおちが緩いままで自分を(他人も)責めることは出来ません。

逆に、
みぞおちが固いままで「頑張らない」状態をつくろうと思っても、
反応するのはアタマだけです。

繋がってますから、ココロの状態とカラダの状態は。

なので、「自分を責めないようにしよう」とアタマでどうにかしようしなくても、
「みぞおちが緩い感覚でいよう」とすることで、
自分を責めなくなってくるのです。

「自分を責めてしまう」⇒「こんな自分じゃダメだ」⇒「もっと頑張らなきゃ」

そういう流れですよね、簡単にいうと。

ココロからのアプローチを否定しているわけでは、もちろんありませんよ。

逆にカラダからのアプローチでうまくいかなかった症状が、
ココロが変わることで劇的に変化することもあります。

僕もスピリチュアルや心理系に触れることで、
こころとからだが楽になった経験があります。

ココロからのアプローチが腑に落ちたとき、必ずセットでカラダも変わるんです。

「頑張らなくていい」がホントに腑に落ちていたら、みぞおちは緩むはずなんです。

が、情報として知ってるだけで腑に落ちていないと、カラダは変わりません。

そこで行き詰っているのなら、カラダから変える手もありますよと。

そういうことが言いたかったのでした。

情報ばかり入りすぎて、アタマデッカチになってしまっている方。

カラダ・身体意識から変えるのも、アリですよ。

という話でした。


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Posted by 照喜名 弘彦 at 22:14