
2019年01月17日
2019/02/22(金)小野サイさんお話し会「ことばで伝え合うコト」
※満席になりました。
キャンセル待ちを受け付けております。
基本的に個人セッションでは、
感情移入をしすぎないようにしています。
なるべくニュートラルに近い状態で、
カラダの反応を感じたいからです。
お客さんが喜怒哀楽を表現されたとき、
もちろんその感情を一緒に味わう部分もありつつ、
それよりももっと深いところで、
お客さんのカラダがどういう反応をしているのか、
ニュートラルに感じようとしています。
ニュートラルを意識している方が、
カラダの微細な反応まで感じやすいんですね。
感情移入しすぎてしまうと、
その微細な感覚が鈍ってしまうような感じがあって。
それでも、たまに、
感情移入をしすぎてしまうこともあります。
「泣く」ということでいうと、
開業以来1万本くらいのセッションをしてきた中で、
数回あるんです。
僕が泣いちゃったことが。
お客さんが感情をリリースされる際に涙を流されることは、
よくあることなんですね。
僕はそれをニュートラルに見守るような意識でいて、
つられて泣くことはほとんどない、
というかないようにしているのですが。
数回あるんですね、泣いちゃったことが。
一番最近泣いちゃったのが、
小野サイさんのセッションの時でした。
サイさんは月に1度くらいのペースで、
カラダメンテナンスに通っていただいております。
その中で、
施術をしながらいろいろお話しを聴かせていただくのですが。
泣いちゃったんです。
話を聴いているうちに。
涙が溢れ出してきていました。
サイさんの話って、深く響くんですよ。
沁み込んでくる、というか。
話の内容としては、
スピリチュアル系の本やブログなどで、
読んだことがありそうな内容かもしれません。
でも、サイさんは、
どこかで聞いてきた・学んできたようなことを知識として身につけ、
それを伝えているわけではなくて。
ご自身が悩み考えた末に気づき、
そして長年実践されてきて、
実感として全身の細胞に沁み込んでいる。
そういう体験を、
伝えてくださるんですね。
なので、まっすぐ深く入ってくるのではないかと。
先日も、ご来店いただいた際に、
いろいろお話しを聴かせていただいて。
直感的に、
「サイさんの話を、うちのお客さんやこのブログ読者の方々にも、
聴いてほしい!」
と、思いました。
それをサイさんに伝えると、ご快諾いただき。
という流れで、
うちの店で、
サイさんのお話し会を開催させていただくことになりました。
下に、サイさんからのメッセージと、プロフィールがあります。
お読みいただき、
なにか響くものがあった方は、
サイさんに会いにきてください。
知識や情報を得るためにというよりも、
エネルギーを浴びにきてみてください。
やっぱり、
自身で実践・継続し人生を変えた体験をされた方の言葉には、
濁りのない深みと温かみがありますよ。
で、明らかに、
僕も含めた普通の人とは、
違う次元(意識)で生きている人です。
「愛」というものは、どういうものなのか?
それを、ご自身の一次体験を元に、
ご自身の言葉で伝えることができる方です。
文字・文章だけでは伝わらないことが、
お会いして直接話を聴くことで、
伝わるかもしれません。
ということで、
以下、
サイさんからのメッセージと、
サイさんのプロフィール、
そしてお話し会の詳細です。
****************
◆小野サイさんからのメッセージ
彼と伝えあって毎日をすごして
キセキの見送りを経験した私だから出来るコト
心愛=こあ=芯をことばで伝えあうコトのすばらしさ
先ず、からだがあったかくなります
ジーンとして目頭があつくなり歓喜することもあります
毎日、シャワーの様に浴び続けると、
いつもからだの中にあったかいものをかかえている様に
いつもあったかい心地良い空気に包まれている様になります
(私たちはなりました)
そして、違う考え方の人にあっても
思い通りにならなくてもイライラしません
人のことがうらやましく思わなくなります
あれもこれもと考えなくなります
時間の流れがゆっくりになります
(私たちはなりました)
ほかにもたくさんあります。
ただとっても心地良いです
生きていることはすばらしい、と思えて
生きやすいので・・・多くの人にも味わってほしいです
どうやって、そんな気持ちになれたのか?
私たちは、
彼のステージ4リンパ転移原発不明ガンが
この暮らしへの入口でした
40才半ばのある日突然のガン!!
ただただ困惑し、彼はほとんどうつ状態に
私はパソコンに本、etc.・・・とにかく情報集め、
<静>と<動>でした
そんな時、友人が久高島を紹介してくれました
ここから、色々なコトが動き出しました。
オキナワの人、自然、空気・・・
すべてのものにいやされ、身におこる事は必然だと学びました
次に、明日という日は、あたり前に約束されていないという事
それがわかると、時間の使い方、今、何をするのか?
優先順位をちゃんと考える様になります
そして、違いをみとめあう事。これが私にとっては高いハードルでした。
『自分と同じ気持ちのパートナーといっしょに暮らすこと』
が一番の幸せと考えていたので・・・
でも、そんな私も、
彼からの心愛のことばのシャワーを浴びるうちにわかってきました
違うからこそ、伝えあう事で、より理解し信頼が深まりました
そんな日々があってこそのあのキセキの旅立ちだったのだと
私は確信しています
その時、彼から、
『大丈夫だよ、この愛に包まれているよ』
という、プレゼントを受け取りました。
最高の経験でした。
今、私はマーヤというテリアMIXの保護犬と暮らしています。
日々かの女からの愛ももらっています
そして、あの日の彼からの最高のプレゼントも持っています
でも・・・
あの頃の彼からの“心愛のことばのシャワー”がほしくなります。
日々ことばで伝えあうことは本当に心地良く、そして元気になります
せっかく肉体を持っている地球時間
ここでしか出来ない、感じるコト、さわれるコトの経験を
重ねたいと思います
そして、そんな経験はピンチ?の時、より強く感じる気がしています。
私たちはガン=ピンチ?
のおかげでオキナワと出会い、
愛(心愛)を知るコトが出来ました
『どんなコトにも しあわせの種がついている』
(ウィルスミス主演の映画 素晴らしきかな、人生より)
全人類が生きているのはすばらしい、
と今日の<生>にありがとう、と思ったら、地球はポカポカのパラダイス
その日まで、このコトを伝え続けたい。
◆小野サイさんプロフィール

1961年2月 東京 渋谷 生まれ
生まれて6カ月の時
東京オリンピックの道路拡幅で
家が立退き 世田谷区砧に転居
生まれて早々から自分の意思と関係無く
動かされるコトを知る
人生はアドベンチャー!
~6歳
私のお姫さま時代
祖父からの寵愛を一身に受ける
家は日本そばや
住込みで働く人も居て常に20名位の暮らしでザワザワしていたけれど・・・
私と祖父だけ別世界。
床の間に掛け軸と骨董のある和室で
祖父がお香を焚き
刀の手入れ・木工(祖父は宮大工)・盆栽・・・
その膝の上で食べる焼き芋が大好きだった
7歳
私にとって大事件
私が小学校に上がり同居していた叔母もお嫁に行って
昼間1人で過ごす様になってしまった祖父が別宅(彼女の家)に転居
~24歳
私の苦悩時代
二足の草鞋生活
守ってくれる人(祖父)がいなくなり 生活急変
7歳から本業(学校・仕事)と家業(飲食店他)の二足の草鞋生活の中
自分を殺して 兎に角 忙しく働いた
ひたすら ガマン ガマン
いつか・・・きっと思い通りに生きられます様にと願っていた
でも・・・この苦悩時代のお陰で私の基本となる当たり前のハードルが低く設定された(コレには感謝)
悪い事ばかりでは無い
逆手にとって・・・海外には沢山行かせて貰った
~29歳
初回の結婚(二足の草鞋生活脱出)
育った家を離れて・・・自由生活
外の世界は 優しく
実家にいた時と同じ事をして 沢山褒められ
生きやすかった 生意気盛り 世の中 チョロイ!
なんて 感じていた
そして 離婚
~32歳
独身 独り暮らし 満喫
1人充実人生スタート
さあ これからだ~ と
思っていた
32歳
彼と結婚
初めて会って1ヶ月後には
一緒に住んでいた
~36歳
私の考えを押し付ける辛い結婚生活
ケンカばかりしていた
楽しみは 外食、旅行etc・・・
何かをしていないと落ち着かなかった
42歳
彼が ステージⅣ リンパ転移ガン発病
43歳
友人の紹介で沖縄 久高島へ
オキナワとのご縁の始まり
ノロさんから沢山の事を教わりました
彼女は厳しさの中に優しさがあり知識豊富で
彼は あっという間に鬱状態から立直りました
何か 特別な力がある様に思っている私達に彼女は
『私が特別では無いよ 皆んな忘れているだけ
貴方達も気づいたら自分で出来るよ』
このことばがスタートだったコトは私にとって とても幸運でした
~46歳
この頃 台風シーズン以外は沖縄通い
色々あっても オキナワに居る時間が救いでした
段々暮らしたくなって・・・
2007年 グレゴリー・コルベールのashes&snow を観て
オキナワへの引越しを決めた
彼は この時
『お前に 清水の舞台から突き落とされた』
から引越すと言っていました
(引越してからは 突き落としてくれて ありがとう と変わりました)
~54歳
ガン克服するも・・・心房細動・狭心症とは付き合いながらの暮らし
楽しい時間を沢山過ごす事で健やかに暮らせる気がして・・・
暇を見つけては阿嘉島でマンタやカメと泳いでいました
~56歳
又もや 彼の大病
腹部大動脈瘤+狭心症のダブル手術
改めて生きてる事への感謝が深まり
ホントに大切に過ごす日々が始まりました
術後 彼は 大好きなアルコールを辞め 空白の時間
(アルコールによる記憶喪失時間)が無くなり 凄く健康になりました
毎日がキラキラしていて 彼は何にするにも意欲的 充実した毎日
ホントに楽しかった!!2人で心愛の言葉のシャワーを掛け合った
旅立ちは怖く無いけれど・・・どちらかが残るのが怖かった
56歳
2017年7月13日
彼の旅立ち
キセキの見送り
最高の愛を感じた
57歳
2018年3月3日
からだのおそうじ工房 サイ
大人のゆりかごサロンOPEN
◆日時:2019年2月22日(金)14:00‐15:30
◆会場:元氣サポートルームkokokara
◆参加費:3,000円
◆お申込み方法
※満席になりました。
キャンセル待ちを受け付けております。
「小野サイさんお話し会キャンセル待ち申し込み・氏名・ご連絡先」
ご記載の上、
メール:info@kokoro-to-karada.jp
facebook(メッセンジャー):「照喜名弘彦」
LINE ID : terukinakokokara
のいずれかでお申込みください。
キャンセル待ちを受け付けております。
基本的に個人セッションでは、
感情移入をしすぎないようにしています。
なるべくニュートラルに近い状態で、
カラダの反応を感じたいからです。
お客さんが喜怒哀楽を表現されたとき、
もちろんその感情を一緒に味わう部分もありつつ、
それよりももっと深いところで、
お客さんのカラダがどういう反応をしているのか、
ニュートラルに感じようとしています。
ニュートラルを意識している方が、
カラダの微細な反応まで感じやすいんですね。
感情移入しすぎてしまうと、
その微細な感覚が鈍ってしまうような感じがあって。
それでも、たまに、
感情移入をしすぎてしまうこともあります。
「泣く」ということでいうと、
開業以来1万本くらいのセッションをしてきた中で、
数回あるんです。
僕が泣いちゃったことが。
お客さんが感情をリリースされる際に涙を流されることは、
よくあることなんですね。
僕はそれをニュートラルに見守るような意識でいて、
つられて泣くことはほとんどない、
というかないようにしているのですが。
数回あるんですね、泣いちゃったことが。
一番最近泣いちゃったのが、
小野サイさんのセッションの時でした。
サイさんは月に1度くらいのペースで、
カラダメンテナンスに通っていただいております。
その中で、
施術をしながらいろいろお話しを聴かせていただくのですが。
泣いちゃったんです。
話を聴いているうちに。
涙が溢れ出してきていました。
サイさんの話って、深く響くんですよ。
沁み込んでくる、というか。
話の内容としては、
スピリチュアル系の本やブログなどで、
読んだことがありそうな内容かもしれません。
でも、サイさんは、
どこかで聞いてきた・学んできたようなことを知識として身につけ、
それを伝えているわけではなくて。
ご自身が悩み考えた末に気づき、
そして長年実践されてきて、
実感として全身の細胞に沁み込んでいる。
そういう体験を、
伝えてくださるんですね。
なので、まっすぐ深く入ってくるのではないかと。
先日も、ご来店いただいた際に、
いろいろお話しを聴かせていただいて。
直感的に、
「サイさんの話を、うちのお客さんやこのブログ読者の方々にも、
聴いてほしい!」
と、思いました。
それをサイさんに伝えると、ご快諾いただき。
という流れで、
うちの店で、
サイさんのお話し会を開催させていただくことになりました。
下に、サイさんからのメッセージと、プロフィールがあります。
お読みいただき、
なにか響くものがあった方は、
サイさんに会いにきてください。
知識や情報を得るためにというよりも、
エネルギーを浴びにきてみてください。
やっぱり、
自身で実践・継続し人生を変えた体験をされた方の言葉には、
濁りのない深みと温かみがありますよ。
で、明らかに、
僕も含めた普通の人とは、
違う次元(意識)で生きている人です。
「愛」というものは、どういうものなのか?
それを、ご自身の一次体験を元に、
ご自身の言葉で伝えることができる方です。
文字・文章だけでは伝わらないことが、
お会いして直接話を聴くことで、
伝わるかもしれません。
ということで、
以下、
サイさんからのメッセージと、
サイさんのプロフィール、
そしてお話し会の詳細です。
****************
◆小野サイさんからのメッセージ
彼と伝えあって毎日をすごして
キセキの見送りを経験した私だから出来るコト
心愛=こあ=芯をことばで伝えあうコトのすばらしさ
先ず、からだがあったかくなります
ジーンとして目頭があつくなり歓喜することもあります
毎日、シャワーの様に浴び続けると、
いつもからだの中にあったかいものをかかえている様に
いつもあったかい心地良い空気に包まれている様になります
(私たちはなりました)
そして、違う考え方の人にあっても
思い通りにならなくてもイライラしません
人のことがうらやましく思わなくなります
あれもこれもと考えなくなります
時間の流れがゆっくりになります
(私たちはなりました)
ほかにもたくさんあります。
ただとっても心地良いです
生きていることはすばらしい、と思えて
生きやすいので・・・多くの人にも味わってほしいです
どうやって、そんな気持ちになれたのか?
私たちは、
彼のステージ4リンパ転移原発不明ガンが
この暮らしへの入口でした
40才半ばのある日突然のガン!!
ただただ困惑し、彼はほとんどうつ状態に
私はパソコンに本、etc.・・・とにかく情報集め、
<静>と<動>でした
そんな時、友人が久高島を紹介してくれました
ここから、色々なコトが動き出しました。
オキナワの人、自然、空気・・・
すべてのものにいやされ、身におこる事は必然だと学びました
次に、明日という日は、あたり前に約束されていないという事
それがわかると、時間の使い方、今、何をするのか?
優先順位をちゃんと考える様になります
そして、違いをみとめあう事。これが私にとっては高いハードルでした。
『自分と同じ気持ちのパートナーといっしょに暮らすこと』
が一番の幸せと考えていたので・・・
でも、そんな私も、
彼からの心愛のことばのシャワーを浴びるうちにわかってきました
違うからこそ、伝えあう事で、より理解し信頼が深まりました
そんな日々があってこそのあのキセキの旅立ちだったのだと
私は確信しています
その時、彼から、
『大丈夫だよ、この愛に包まれているよ』
という、プレゼントを受け取りました。
最高の経験でした。
今、私はマーヤというテリアMIXの保護犬と暮らしています。
日々かの女からの愛ももらっています
そして、あの日の彼からの最高のプレゼントも持っています
でも・・・
あの頃の彼からの“心愛のことばのシャワー”がほしくなります。
日々ことばで伝えあうことは本当に心地良く、そして元気になります
せっかく肉体を持っている地球時間
ここでしか出来ない、感じるコト、さわれるコトの経験を
重ねたいと思います
そして、そんな経験はピンチ?の時、より強く感じる気がしています。
私たちはガン=ピンチ?
のおかげでオキナワと出会い、
愛(心愛)を知るコトが出来ました
『どんなコトにも しあわせの種がついている』
(ウィルスミス主演の映画 素晴らしきかな、人生より)
全人類が生きているのはすばらしい、
と今日の<生>にありがとう、と思ったら、地球はポカポカのパラダイス
その日まで、このコトを伝え続けたい。
◆小野サイさんプロフィール

1961年2月 東京 渋谷 生まれ
生まれて6カ月の時
東京オリンピックの道路拡幅で
家が立退き 世田谷区砧に転居
生まれて早々から自分の意思と関係無く
動かされるコトを知る
人生はアドベンチャー!
~6歳
私のお姫さま時代
祖父からの寵愛を一身に受ける
家は日本そばや
住込みで働く人も居て常に20名位の暮らしでザワザワしていたけれど・・・
私と祖父だけ別世界。
床の間に掛け軸と骨董のある和室で
祖父がお香を焚き
刀の手入れ・木工(祖父は宮大工)・盆栽・・・
その膝の上で食べる焼き芋が大好きだった
7歳
私にとって大事件
私が小学校に上がり同居していた叔母もお嫁に行って
昼間1人で過ごす様になってしまった祖父が別宅(彼女の家)に転居
~24歳
私の苦悩時代
二足の草鞋生活
守ってくれる人(祖父)がいなくなり 生活急変
7歳から本業(学校・仕事)と家業(飲食店他)の二足の草鞋生活の中
自分を殺して 兎に角 忙しく働いた
ひたすら ガマン ガマン
いつか・・・きっと思い通りに生きられます様にと願っていた
でも・・・この苦悩時代のお陰で私の基本となる当たり前のハードルが低く設定された(コレには感謝)
悪い事ばかりでは無い
逆手にとって・・・海外には沢山行かせて貰った
~29歳
初回の結婚(二足の草鞋生活脱出)
育った家を離れて・・・自由生活
外の世界は 優しく
実家にいた時と同じ事をして 沢山褒められ
生きやすかった 生意気盛り 世の中 チョロイ!
なんて 感じていた
そして 離婚
~32歳
独身 独り暮らし 満喫
1人充実人生スタート
さあ これからだ~ と
思っていた
32歳
彼と結婚
初めて会って1ヶ月後には
一緒に住んでいた
~36歳
私の考えを押し付ける辛い結婚生活
ケンカばかりしていた
楽しみは 外食、旅行etc・・・
何かをしていないと落ち着かなかった
42歳
彼が ステージⅣ リンパ転移ガン発病
43歳
友人の紹介で沖縄 久高島へ
オキナワとのご縁の始まり
ノロさんから沢山の事を教わりました
彼女は厳しさの中に優しさがあり知識豊富で
彼は あっという間に鬱状態から立直りました
何か 特別な力がある様に思っている私達に彼女は
『私が特別では無いよ 皆んな忘れているだけ
貴方達も気づいたら自分で出来るよ』
このことばがスタートだったコトは私にとって とても幸運でした
~46歳
この頃 台風シーズン以外は沖縄通い
色々あっても オキナワに居る時間が救いでした
段々暮らしたくなって・・・
2007年 グレゴリー・コルベールのashes&snow を観て
オキナワへの引越しを決めた
彼は この時
『お前に 清水の舞台から突き落とされた』
から引越すと言っていました
(引越してからは 突き落としてくれて ありがとう と変わりました)
~54歳
ガン克服するも・・・心房細動・狭心症とは付き合いながらの暮らし
楽しい時間を沢山過ごす事で健やかに暮らせる気がして・・・
暇を見つけては阿嘉島でマンタやカメと泳いでいました
~56歳
又もや 彼の大病
腹部大動脈瘤+狭心症のダブル手術
改めて生きてる事への感謝が深まり
ホントに大切に過ごす日々が始まりました
術後 彼は 大好きなアルコールを辞め 空白の時間
(アルコールによる記憶喪失時間)が無くなり 凄く健康になりました
毎日がキラキラしていて 彼は何にするにも意欲的 充実した毎日
ホントに楽しかった!!2人で心愛の言葉のシャワーを掛け合った
旅立ちは怖く無いけれど・・・どちらかが残るのが怖かった
56歳
2017年7月13日
彼の旅立ち
キセキの見送り
最高の愛を感じた
57歳
2018年3月3日
からだのおそうじ工房 サイ
大人のゆりかごサロンOPEN
◆日時:2019年2月22日(金)14:00‐15:30
◆会場:元氣サポートルームkokokara
◆参加費:3,000円
◆お申込み方法
※満席になりました。
キャンセル待ちを受け付けております。
「小野サイさんお話し会キャンセル待ち申し込み・氏名・ご連絡先」
ご記載の上、
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Posted by 照喜名 弘彦 at 17:11