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2019年01月22日

自分に還ってこられる場所。

金土日と名古屋で仕事。

そして、月曜に、大切な場所に向かいました。

伊勢神宮

の、外宮

の、古殿地(こでんち)

自分に還ってこられる場所。

もちろん伊勢神宮全体に敬意を抱いていますが、
外宮の古殿地は、
僕にとって特別で大切な場所なのです。

ここに立つと、自然に涙が溢れてきます。

今回で5回目ですが、
毎回そうです。

不思議です。

他の場所では、そういう経験がないからです。

どんな感じなのかって、
言葉にするのが難しいというか、
言葉にすると嘘くさくなってしまうのですが。

それでもあえて言葉にすると。

本来の自分に還ってこられる場所なのです。

これまで身につけた知識、
味わってきた感情、
それに伴ってこびりついた思い込み。

そういう、
外側にくっついているものを通り抜け、
最も内側にいる、
最も深層にいる、
自分の根幹、
自分のピュアな生命エネルギー。

古殿地の前に立つだけで、
自然にそこにアクセスされる感じがあるのです。

すべてを見透かされた感じになり、
自分に嘘がつけなくなります。

自分の弱さやずるさも、
すべてお見通し。

もう完全に、降参。

そういう状態になります。

自分の全てをわかって見守ってくれるエネルギー。

僕にとっての古殿地は、
そういう唯一無二の存在なのです。

そして古殿地で味わう感覚は、
安心感というよりも、
おそれに近い感覚です。

恐れ(怖れ)ではなく、畏れの方。

畏怖。畏敬。

そこでは、
ふざけるどころか、
笑うことさえもできません。

母性的な優しく包み込まれるような愛ではなく、
父性的な厳しく研ぎ澄まされたような愛を感じます。

そんな場と出逢えたことに、
心の底から、感謝しています。

本来の自分に還ってこられる場所。

これからも、年に1回は必ず来たいと思っています。

たった数分、古殿地の前に立つだけで、
なんだか、大丈夫な気がするんです。

なにが大丈夫なのかわかりませんが、
なんとなく大丈夫な気にさせてもらえるんです。

古殿地を離れると、
相変わらず外側の思考や感情に振り回される人間らしい自分もいますが、
それでも、

「ここに来れば、自分に還ってこられる。」

そういう場があることは、とても心強いです。

自分を見失ったとき、見失いそうになったときに、
ニュートラルに戻してくれる場所。


大変おこがましいですが、
僕もお客さんにとってそのようなセラピストになれるよう、
ほんの少しでも近づけるよう、
そこを目指していきたいと思っています。

自分に還ってこられる場所。

外宮の鳥居↓

自分に還ってこられる場所。

内宮の鳥居↓

自分に還ってこられる場所。


古殿地のことばかり書きましたが。

伊勢神宮全体が、
僕にとっては別格です。

日本人に生まれたことを、
誇りに思える場所です。

ありがとうございました。


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Posted by 照喜名 弘彦 at 21:45