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2019年07月26日

不登校の女子中学生と、椎名林檎。

数カ月前でした。

「うちの娘が不登校になっているんです。
1度みてもらえませんか?」


と、お客さんから。

中学二年生の娘さん。

来店されて、施術をしました。

特に、これといって会話はなく。

「少しでもカラダが緩んで、ついでに少しでもココロも緩んでくれたらいいかなぁ」

くらいの軽い気持ちで、
でも丁寧に、
手当てをしました。

「なんとかしてあげなきゃ!」

みたいな意識で関わられると、
重いんですよね。

たぶん。

しらんけど。

そしたら、なんと2回目も来てくれました。

「なにも言われないから、楽だった。」

というのが、理由だそうで(笑)

その後も、
挨拶と必要最低限の事務的な会話以外しない施術が、
数回続いて。

ある日の施術中に、いきなり話しかけられました。

「不登校のこと、母から聞いてるんですよね?」

「うん。」

「なんでそのことについて何も言わないんですか?」

「なんでって、いろいろ訊かれてもウザくない?」

「そうなんですけどね。あ、1つ訊いてもいいですか?」

「うん。なに?」

「わたし、学校行った方がいいと思います?行かない方がいいと思います?」

「うーん、どっちでもいいんじゃない?」



どっちでもいいんじゃない?と僕が話した瞬間に、
彼女のカラダの緊張が一気に緩みました。

「どっちでもいいんじゃない?って言ってくれた人、初めてです。」

「そうなんだ?」

「みんな、『行った方がいい』か『行かなくていい』か、どっちかでした。」

「なるほど。」

「そして、行った方がいい理由、行かなくてもいい理由を、一生懸命伝えてくれました。」

「それって、気持ちはありがたいけど、重いでしょ。」

「そうなんですよ。一生懸命親身になってくれればくれるほど、なんか重くて。」

「だよね。わかる気がする。」

「『どっちでもいいんじゃない?』が、欲しい言葉だったんだって気づきました。」




「こうした方がいい」とか「こうしない方がいい」とか。

大人は良かれと思ってアドバイスをします。

もちろん、そのアドバイスが活きることもあります。

が、「どっちでもいいんじゃない?=どんなあなたでもいいと思うよ」というメッセージが、
時に唯一の安らぎになることもあると思います。


僕も子どもの頃、アトピーで。

周りの大人たちは、
親身になっていろいろ言ってくれるんですけど。

心の中では、

「お前におれの何がわかる」

って思っていました。

表面ではいい子を演じていましたけど(笑)


なので、その不登校の女子中学生と関わる時も。

僕が「その子のため」だと思って話す言葉は、
きっと彼女には重荷にしかならないんじゃないかな、
って思った
んですね。

なので、自分からはあえて何も話しませんでした。


が!

その会話の後、施術をしていて。

なんとなく、直感的に。

ある人のことが浮かびました。

その人の言葉なら、今の彼女に響くかもしれない、と。

その人は、この人です↓

不登校の女子中学生と、椎名林檎。

椎名林檎さん。


椎名林檎椎名林檎椎名林檎・・・

あ!わかった!

あの唄だ。


「椎名林檎って知ってる?」

「名前は知ってます。唄はあんまり聴いたことないです。」

「椎名林檎のさ、『ありあまる富』って唄、youtubeにあるから、聴いてみて。」

「わかりました。」



それが、前回の施術。

で、今日来店されたのですが。

「『ありあまる富』、聴いてみた?」

「聴きました聴きました。100回以上。」

「そんなに?(笑)」

「最初聴いたときは別になにも感じなくて。
でもしばらくしたら、また聴きたくなって。
でもやっぱりなにも感じなくて。
その繰り返しで10回目くらいの時に、
涙がダーッと流れてきました。」



感情が溢れてくるのは、久しぶりだったようです。

よかったね。

林檎姐さん、さすがっす。




ではでは、ありがとうございました。


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Posted by 照喜名 弘彦 at 22:56