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2014年01月24日

時間をかける意味

こんにちは。

元氣サポートルームkokokaraの照喜名です。

最近ファスティングに関する記事を立て続けに書いていたわけなんですが。

それをお読みになった方から、メールをいただきました。

ご了承をいたただいたので、そのメールの一部をネタに使わせていただきます。

すごく好意的に、いろいろ書いてくれていたんですけどね、
ちょっと気になる部分があって。

それは、

「3日ファスティングで得られる内臓疲労が軽減するのと同等の効果を、
照喜名さんの1回の整体施術で再現することは出来ると思いますか?」

というご質問。

これ、実は、僕も同じことを考えたんですよね。

答えとしては、

「出来る可能性はある」

と思います。

だけど、そんなんじゃない気がします。

もし仮に、
1回60分くらいの整体施術で、
3日ファスティングと同じくらい内臓疲労を軽減することが出来たとしても。

結果が同じだとしても、過程が・体験の質が、全く違いますよね。

3日という時間をかけること。

「食べる」という日常的な習慣を断つこと。

その過程の中で、考えること・感じることがたくさんあって。

そこが、味わい深いところなんだと思うんですよね。

3日ファスティングを体験した者としては、
例え60分の整体で生理的には同じ結果を引き出せたとしても、
そこは同列に語っちゃいけないなと思います。

どっちが人生として「濃い」かっていう話ですね。

別に人生に濃さとか熱さを求めない、効率や結果が重要だという方もいると思います。

それはそれで価値観なので、いいと思うんですけどね。

僕は、そうは思わないんですね~。

30分ロープウェイに乗って着いた山頂からの景色と、
10時間歩いてたどり着いた山頂からの景色。

見てる景色は一緒なんだけど、「何か」が違うでしょう。

その「何か」が、人生を味わい深いものにすると思うんですよね。


が、以前は、僕もそういう時期がありました。

施術でね。

心を無視した、効率重視の施術。

例えば、こういうお客様のセッションに入ったとします。

カラダの状態をチェックして、どうやらメンタルストレスが原因らしいということがわかる。

そしてそのメンタルストレスが、
椎骨(背骨)のどこかとか、
内臓のどこかとか、
筋肉のどこかとか、
脳のどこかとか、
まぁカラダのどこかに、
反応として出てることを確認する。

ここまでは、今でも確認します。

が、以前の僕は。

メンタルストレスが原因でカラダのどこかに出ている反応を、
手技で修正していたんです。

例えば、
メンタルストレスが原因で
⇒脳のどこかにストレス反応が出ている
⇒脳のストレス反応を手技で解除
⇒脳のストレス反応が消えた
⇒メンタルストレスも消えた
⇒よかったよかった

みたいな。

そんな感じでカラダに出た反応を修正するくらいなら、
数分・・・場合によっては1分もかからない場合もあるわけです。

でも今の僕は、
こういうお客様が来たときに、
数分で出来る手技での修正よりも、
数十分かけて話を聴く方を選びます。

結果的にカラダに起こる反応は、同じかもしれないですよ。

どっちでも。

結果が同じだったら、手技でちょちょっとやった方が効率的かもしれない。

でも、それと、海を見ながら話を聴くのとでは、「何か」が違うでしょう。

その「何か」って、僕は人生の中でとっても大切にしたいものなんですよ。

効率を全否定しているわけではないですよ。

効率が求められる状況もあるし、
業種によっては「効率命!」の業種もあるでしょう。

ただ、僕のような、ヒトとダイレクトに関わる仕事では。

あまり効率を求めすぎると、お客様にとって貴重な「何か」を体験する機会を奪ってしまう気がして。

その「何か」を体験するために、心身にストレスがかかったのかもしれないですし。

もちろん、プロとして結果は出さなきゃいけないんですけど。

結果を出しさえすればいいというのは、
人の心身と関わる仕事をしている身として、
ちょっと違和感を感じます。

もちろん、とにかく痛みが楽になればなんでもいいという状況もあると思います。

僕も首の痛みがMAXのときは、そうでしたし。

ただ、時間をかけて向き合うことでしかわからないことも、あると思います。

機械の修理なら、より迅速な方が良いんでしょうけど。

ヒトは、どうなんでしょうね。

意外に、遠回りした方が、人生に大切な「何か」を体験できたりして。

なんてことを、改めて考えるきっかけになりました。

ありがとうございました。


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Posted by 照喜名 弘彦 at 22:56