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2014年02月19日
ヤスさん
昨夜、遅い時間から読みかけの小説を読みました。
出張のため羽田に向かう機内で読み始めたんですけど、
もうね、やばいんです。
涙が止まらなくて。
お涙頂戴のとこじゃないはずのところで、
もうすでに泣けてくるんです。
泣けて泣けて、続けて読めない。
ちょっと読んで、
号泣して、
落ち着くまで休んで、
また読んで、
号泣して、
・・・の繰り返し。
客室乗務員の方が、心配そうに僕を見ていました。
で、それ以来バタバタしてて読んでなかったんですけど。
続きを昨夜、読んだんですね。
今度はもう他人の目が気にならないので、
遠慮なく泣きました。
涙が出ちゃう。。。というレベルではなく、
嗚咽まじりに。
感動した小説はたくさんありますが、
そこまで泣けたのは、初めてです。
僕の何かに強烈にヒットしたんでしょうね。
その“何か”について、書いてみます。
とにかくもう「ヤスさん」に、やられてしまいました。
ヤスさんといっても↑の人ではありません。
小説の主人公です。
超不器用なオヤジと、その息子の物語なんですけど。
オヤジがヤスさんね。
ヤスさんの不器用な愛情表現と、
ヤスさんの周りの人たちの人情味あふれるキャラクターがね。
僕の心の琴線に、触れる・・・どころかストレートパンチをガツンガツンぶつけてくるんです。
何を投影してたかというと、自分の父親です。
僕の父はヤスさんのような人ではないんですけど。
違うんですけど、なんでだろう、ヤスさんを、父に重ねて読んでました。
するとね、泣けてしょうがない。
僕の父は、厳格な人で。
外では社交的なんですが、
家の中では、THE 亭主関白。
正直いって、
子供の頃は「恐い」という印象がほとんどで、
父と一緒にいるときは、
常に父の顔色をうかがっているような感じでした。
高校卒業後、
県外の大学に進学しましたが、
県外に出たかった1番の理由は、
「実家から離れたい」
でした。
恐い父から、離れたかったんです。
母はわかりやすく愛情表現をしてくれる人で
何でも話せる、わがままも言える人だったんですが、
父との距離は僕が中学⇒高校と歳を重ねるにつれて離れていき、
話しかけるにも勇気が要るような感じになっていました。
会話らしい会話はなく、必要最小限の話しか出来ない感じでした。
大学⇒社会人と実家を離れてたまーにしか会わなくなって、
僕も少しずつ大人になり、
父も丸くなってきたような感じで、
「恐い」という感情は表面的にはなくなってきましたが、
それでも「遠慮」は大いにあった気がします。
距離が相変わらず縮まらないというか。
さっきも書きましたが、
母はわかりやすく愛情表現をしてくれる人なので、
母が自分のことを大切に想ってくれているというのは、
言動で感じることが出来るんですね。
が、父は、そういうことをしない人なんです。
父は名実ともに、すごく立派な社会人です。
父のことを知っている人なら、異論は絶対にないだろうと断言できるほどに。
ただ、家庭での父は、近寄りがたい人だった。
父が仕事から変えると、家の空気が一気に変わる。
僕だけじゃなくて、家全体がガラッと緊張感に包まれる。
そんな感じだったんです。
大人として、社会人の先輩としてはすごく尊敬している反面、
家族としての「愛着」があったかというと、
それよりも「恐さ」や「遠慮」が勝っていた気がします。
そういう父へのイメージがね、
ヤスさんの言動や心を読んでいくうちに、
ガラガラと崩れていったんです。
父は、父の表現で、しっかり愛を伝えてくれていた。
幼少期からつい最近までのいろんな父を思い出して、
それは父なりの愛だったんだって、
しかも、それがすごく深い愛だったんだって、
心から気づくことが出来たんです。
ヤスさんが小説の中でそれにいちいち気づかせてくれるから、
もう涙が止まらなくて、嗚咽するほど泣いて。
僕は、はじめて、心から、父の愛を感じることが出来ました。
母のように全てを優しく包み込んでくれる愛ではなく、
あえて厳しく突き放す、
でも本当に困ってギリギリの状況になると手を差し伸べてくれる、
深い愛でした。
あぁ、ちゃんと愛されてたって、
父は無条件に僕に愛を注いでくれていたって、
確信が持てました。
30過ぎた男がこんなことを書くのは恥ずかしいなという思いがありつつも、
ここまで書いたんで書きますけど。
僕はずっと、父の愛に飢えていたんだと思います。
自分は愛されてないと思っていた。
でも、ヤスさんのおかげで、そうじゃなかったことにどんどん気づいて。
父は全力で僕を愛し、そして守ってくれていたことに気づいて。
そしたら、
自分でも自覚がなかった心の乾いた部分がどんどん潤ってきて、
満たされて、涙として溢れて、どんどん溢れ出てきて。
嗚咽しながら泣いて泣きつくして、泣くのも疲れて、残っていたのは、感謝でした。
お父さん、ありがとう。
あなたの息子に生まれて、本当に良かったです。
心の準備ができたら、ちゃんと直接お礼を言いたいです。
数百円の小説を読むことが、人生を変えるほどのセラピーになることもあるんですね。
ありがとう、ヤスさん。
出張のため羽田に向かう機内で読み始めたんですけど、
もうね、やばいんです。
涙が止まらなくて。
お涙頂戴のとこじゃないはずのところで、
もうすでに泣けてくるんです。
泣けて泣けて、続けて読めない。
ちょっと読んで、
号泣して、
落ち着くまで休んで、
また読んで、
号泣して、
・・・の繰り返し。
客室乗務員の方が、心配そうに僕を見ていました。
で、それ以来バタバタしてて読んでなかったんですけど。
続きを昨夜、読んだんですね。
今度はもう他人の目が気にならないので、
遠慮なく泣きました。
涙が出ちゃう。。。というレベルではなく、
嗚咽まじりに。
感動した小説はたくさんありますが、
そこまで泣けたのは、初めてです。
僕の何かに強烈にヒットしたんでしょうね。
その“何か”について、書いてみます。
とにかくもう「ヤスさん」に、やられてしまいました。
ヤスさんといっても↑の人ではありません。
小説の主人公です。
超不器用なオヤジと、その息子の物語なんですけど。
オヤジがヤスさんね。
ヤスさんの不器用な愛情表現と、
ヤスさんの周りの人たちの人情味あふれるキャラクターがね。
僕の心の琴線に、触れる・・・どころかストレートパンチをガツンガツンぶつけてくるんです。
何を投影してたかというと、自分の父親です。
僕の父はヤスさんのような人ではないんですけど。
違うんですけど、なんでだろう、ヤスさんを、父に重ねて読んでました。
するとね、泣けてしょうがない。
僕の父は、厳格な人で。
外では社交的なんですが、
家の中では、THE 亭主関白。
正直いって、
子供の頃は「恐い」という印象がほとんどで、
父と一緒にいるときは、
常に父の顔色をうかがっているような感じでした。
高校卒業後、
県外の大学に進学しましたが、
県外に出たかった1番の理由は、
「実家から離れたい」
でした。
恐い父から、離れたかったんです。
母はわかりやすく愛情表現をしてくれる人で
何でも話せる、わがままも言える人だったんですが、
父との距離は僕が中学⇒高校と歳を重ねるにつれて離れていき、
話しかけるにも勇気が要るような感じになっていました。
会話らしい会話はなく、必要最小限の話しか出来ない感じでした。
大学⇒社会人と実家を離れてたまーにしか会わなくなって、
僕も少しずつ大人になり、
父も丸くなってきたような感じで、
「恐い」という感情は表面的にはなくなってきましたが、
それでも「遠慮」は大いにあった気がします。
距離が相変わらず縮まらないというか。
さっきも書きましたが、
母はわかりやすく愛情表現をしてくれる人なので、
母が自分のことを大切に想ってくれているというのは、
言動で感じることが出来るんですね。
が、父は、そういうことをしない人なんです。
父は名実ともに、すごく立派な社会人です。
父のことを知っている人なら、異論は絶対にないだろうと断言できるほどに。
ただ、家庭での父は、近寄りがたい人だった。
父が仕事から変えると、家の空気が一気に変わる。
僕だけじゃなくて、家全体がガラッと緊張感に包まれる。
そんな感じだったんです。
大人として、社会人の先輩としてはすごく尊敬している反面、
家族としての「愛着」があったかというと、
それよりも「恐さ」や「遠慮」が勝っていた気がします。
そういう父へのイメージがね、
ヤスさんの言動や心を読んでいくうちに、
ガラガラと崩れていったんです。
父は、父の表現で、しっかり愛を伝えてくれていた。
幼少期からつい最近までのいろんな父を思い出して、
それは父なりの愛だったんだって、
しかも、それがすごく深い愛だったんだって、
心から気づくことが出来たんです。
ヤスさんが小説の中でそれにいちいち気づかせてくれるから、
もう涙が止まらなくて、嗚咽するほど泣いて。
僕は、はじめて、心から、父の愛を感じることが出来ました。
母のように全てを優しく包み込んでくれる愛ではなく、
あえて厳しく突き放す、
でも本当に困ってギリギリの状況になると手を差し伸べてくれる、
深い愛でした。
あぁ、ちゃんと愛されてたって、
父は無条件に僕に愛を注いでくれていたって、
確信が持てました。
30過ぎた男がこんなことを書くのは恥ずかしいなという思いがありつつも、
ここまで書いたんで書きますけど。
僕はずっと、父の愛に飢えていたんだと思います。
自分は愛されてないと思っていた。
でも、ヤスさんのおかげで、そうじゃなかったことにどんどん気づいて。
父は全力で僕を愛し、そして守ってくれていたことに気づいて。
そしたら、
自分でも自覚がなかった心の乾いた部分がどんどん潤ってきて、
満たされて、涙として溢れて、どんどん溢れ出てきて。
嗚咽しながら泣いて泣きつくして、泣くのも疲れて、残っていたのは、感謝でした。
お父さん、ありがとう。
あなたの息子に生まれて、本当に良かったです。
心の準備ができたら、ちゃんと直接お礼を言いたいです。
数百円の小説を読むことが、人生を変えるほどのセラピーになることもあるんですね。
ありがとう、ヤスさん。
Posted by 照喜名 弘彦 at 20:45