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2019年02月15日
3万字の自己紹介。
最近、
店のfacebookページに、
「こころとからだ 過去記事アーカイブ」
という投稿をしはじめたんです。
過去にこのブログに投稿してきた記事の中で、
僕自身の思い入れが強い投稿を、
リンクを貼ってご紹介しています。
現時点で、まだ5記事しか投稿していないのですけどね。
その流れで、
このブログの過去記事を、
さらっと読み返していたのです。
すると!
すごい記事を見つけてしまいました。
僕ですね、
10年前くらいに、
動画で自己紹介をしたのですよ。
当時USTREAMという動画配信サイトがあって、
生配信ができて、録画もできたんですね。
僕はそのUSTREAMを使って、
よく生放送を配信していました。
その中で、自己紹介もしたのですけど。
なんと、90分も喋ったんです。
90分自己紹介で語るって、すごくないですか(笑)
今の僕にはできないかも。。。
あの頃は、
今の僕にはなくなってしまった熱量があったんですね。
良くも悪くも、ですけど(笑)
が、そのUSTREAMが(たぶん)なくなっちゃって。
その90分動画も、ネット上から姿を消したのですが。
が!
なんとその90分自己紹介動画を、
すべて文字起こしをしてくれた方がいたのですよ!
90分の話をそのまま全文、文字起こし。
文字数にすると、約3万字。
3万字って、原稿用紙75枚分ですよ。
それを、すべて文字起こししてくれたのです。
もう、感動ですよね。
とっても感動したと思います。
思いますっていうのは、忘れてたんです。
文字起こししてもらってたことを。
すみません。
が!
過去記事を漁っているときに、
見つけてしまったのです。
文字起こししてもらったものを、貼っている記事を。
すごいの見つけちゃった、と、1人で興奮。
これはもう、ちょっと恥ずかしいけど、
改めて最新記事で貼ろうと。
そういうことになりました。
10年前に喋っていることなので、
ちょっと今とは感覚が違っているところもありますが。
でも、最後の締めで話している内容は、
今と全く同じなのです。
今の僕が思っていることと、
同じことを言っている。
すごいな、10年前の自分。
10年間、
根底に同じ想いを持ち続けて仕事をしてきたことに、
我ながら少し誇らしくなりました(笑)
当時は整体スクールの講師が本業で、
副業的に個人での活動もしていましたが、
今のように完全に独立した形ではありませんでした。
途中で
「独立する気はない」
などとほざいていますが、
気が変わることもあるということで(笑)
でも、根底で大切にしていることは、
10年前から変わっていないですね。
ちょっと自分を見直しました(笑)
ということで、前フリが長くなりましたが。
「細かすぎる自己紹介と仕事への想い」
というテーマで90分喋った内容を、
約3万字の文字起こしによって再現された文章。
一部個人情報などが出ている部分は編集しましたが、
それ以外は編集していません。
喋っている言葉をそのまま文字にしてあるので、
文章としては読みづらいかもしれませんが。
もしご興味があれば、
10年前の僕が熱く語った内容を、
読んでみてください。
ただ、めちゃ長いので(笑)
気が向いたら、よろしくお願いします。
****************
「細かすぎる自己紹介と仕事への想い」
はじめさせていただきます。
はい、よろしくおねがいしまーす。
こういうのも緊張しますね、なんか。
慣れてないので。
うーん。はい。
えー、自宅からUSTREAMを中継させていただくのは初めてなんですが、
僕のまず自己紹介から。
今日のテーマが「細かすぎる自己紹介と仕事への想い」
っていう細かすぎるっていうのはどこまで細かくしゃべるかどうかっていうのは僕の気分次第なんですが、僕は整体師、スポーツトレーナーとして仕事をしてまして、その上で、うーん、どういう想いでこの整体とかスポーツトレーナーっていうお客様の美容とか健康の増進に、あとアスリートのパフォーマンスアップとかそういうのも入ってくるんですが、どういう想いでそういう仕事をしているのかっていうことをちょっとお話させていただきたいと思うんですね。
いままでダイエット講座とかそういう講座はUSTREAMで生中継配信したことはあるんですが、その時と今日のこの自宅配信の違いは、
目の前に人がいないっていうことなんですね(笑)。
だからいまもウェブカメラに向かってカメラ目線で一生懸命語りかけているんですけど、それはそのカメラの向こうにいるあなたに!
あなたに話しかけられていると思って聞いていただければありがたいです。
はい、いま4人の方が見ていただいてるんですが、よろしくお願いします。
自己紹介、現状の活動からお話しさせていただくと、本業として整体の専門学校で勤務しております。
整体、あとはスポーツトレーナー科というところの主任講師をさせていただいてまして、それ以外、その本業、学校業務以外のところで、
個人的にお客様の施術、コンディショニングをしたり、あとは沖縄県内、県外でセミナー活動をさせていただいております、という状況ですね。
良かったらブログなどをご覧頂ければ、どういう活動をしているかというのが分かると思うのでご覧下さい。
それで、あの、僕がこの業界で働こうと思ったきっかけ。
思ったきっかけというか、思ったきっかけもそうなんですけど、働くことになったきっかけも含めて。
僕はもともとこの整体とかスポーツトレーナーになろうってずっと最初から決めてたわけではないんですね。
決めてたわけではなくて、言い方悪いですけど成り行きでそうなったっていう感じなんですよ。
成り行き。
うーん。
ただ、あの、これは昔っからすごく自分の体のことですごく悩みを抱えているというか、持病がありまして、それですごく健康とかそういうことに
関しては、まあ苦しんできた方だと思うんですね。
まあ、比べる、人と比べるのもおかしい話ですけど、まあちょっと大変な思いをしてきたので、幼少期から。
自然とですね、そういう自分の経験を元に、人様のそういう体のことで苦しんでいるとか、そういう方になにか手助けをする仕事をしたいなっていうのは漠然とありました。
漠然と。
それで、高校生、中学生高校生ぐらいの時は医者になりたいと思ってたんですよ。
お医者さん。
僕は、まあ、持病っていうのはアトピー性皮膚炎なんですけど、結構な重症だったんですね。
今からお話しさせていただきますけど。
結構な重傷ですごく苦しんできたので、自分が医者になって、その同じようにアトピーで苦しんでいる人の手助けになりたい、手助けになりたい、まあ力になりたいっていう風に考えるようになりまして、中学高校とそういう考えだったんですが、うーん、勉強が嫌いで、勉強が(笑)。
勉強が嫌いで高校も一応沖縄県内では進学校って言われるような学校に入れたんですけども、勉強がもうとにかく面白くなくてですね、成績が良くなかったんですね、正直。
それでもう医学部なんてとても無理っていう状況だったので、どうしようかなと思って。
その当時の僕にはそれを乗り越えるだけの信念がなかったんですよ。
勉強は嫌いだけどでも、絶対お医者さんになって困ってる人を助けるんだっていうそこの信念がなくて、医学部はまあいいやってなっちゃったんですね。
この高校生のときに。
でも、どうしてもその健康産業というか、何らかの形で人様の健康にたずさわるような仕事をしたいということで、進学校なんで一応周りの環境もそうなんですけど、大学に行くっていうのが大前提のような状況になってまして、自分も大学に行かなきゃいけないんだっていうのが自然の流れになってたんですね。
でも、さっきも言ったように僕は勉強が嫌いで、大学に行ってまで深めたい学問というのが僕の高校生のときになかったんですよ。
数学も物理もなんだ、英語も国語も社会科も大学に行ってまでより深めて勉強したいかって言われたらNOだったんですね。
でも大学行かなきゃいけないっていう空気だし、僕も大学行く以外の選択肢はなかったんですよ。
その、進学校という環境もあったかもしれないんですけど、大学に行かないっていう選択肢がなくて、その当時は。
だけど大学に行かなきゃいけないと。
どうしようかなって思ったときに、あー自分はスポーツが好きだからスポーツに関係することだったら楽しく勉強できるんじゃないかなと思って体育学部に行こうと思ったんですね。
将来体育の先生になりたいとかそういう強い思いもなく、ただ大学に行ってまで学びを深められるものは僕にはスポーツしかないなと。
学校の教科で言うと体育しかないなと思って体育学部を受験しようと思いました。
はい。
体育といっても沖縄には体育学部というのがないんですね、大学の。
今はできましたけど。
当時はなくて、琉球大学っていう国立大学の教育学部の保健体育科養成課程みたいな。
保健体育の先生になるための養成課程っていうのがあったので、それを受けようかなと思って勉強してたんですけど。
実はね、ちょっと体育学部の最高峰みたいな形で筑波大学っていうのがありまして。
茨城県に。
筑波大学体育専門学群というんですけど、あーここに入れたらいいなっていうのもちょっとあったんですね。
センター試験を受けたら、なんとその筑波大学体育専門学群に受かりそうな点数が奇跡で取れてしまいまして。
本当に奇跡だったんですよ。
僕はそれまでずーっと模試を繰り返していても7割ぐらいしか取れてなかったんですね。
トータルで。
センター試験の。
7割じゃなかなか厳しいっていうことなんですけど、本番でね8割越えちゃったんですよ。
85%ぐらい点数が取れてしまって。
何かの間違いで(笑)。
マークシートだから間違いが起こっちゃうんですよ、やっぱりそういう、奇跡的な。
そのマークシートのセンター試験で奇跡が起こってしまいまして、あーこら筑波大行ける!ということで受験したらなんか受かっちゃいましてね。
それで筑波大学体育専門学群というところに進学しました。
ここまでは順調ですよ。
なんか。
なんだかんだありつつ、病気とかもあり苦しみつつも、まあこんな言い方したらあれですけど一般的にはまあそこそこ。そこそこって言ったら失礼ですね。
まあ、有名ないい大学の体育学部に入れたと。
ここからが大変だったんですよ。
実は。
でね、結論から言うと僕はその筑波大学体育専門学群を中退しております。
残念(笑)。
残念ながら中退しております。
はい。
なんで中退に至ったかということなんですが、うーん、まあ、いろいろ理由はあります。
とにかくまずは、まあ、一つとしては沖縄から県外に移住して、初めて親元から離れて生活して、僕はねえ、今でもそうなんですけど自分に甘いんですよ、とっても。
自分に甘くて、もう親元を離れた生活でもう悪い意味で自由奔放になりすぎてしまいましてですね、学校に行かなくなっちゃったんですね。
うーん。
その悪い意味で自由奔放になったというのもそうなんですけどもうひとつとしては、体調をものすごく崩しました。
一人暮らしを始めてから。
原因はいろいろあると思います。
もう単純に生活のリズムがめちゃくちゃになったとか、一人暮らしで。
あとは食生活がめちゃくちゃになったとか。
まあいろいろあると思いますけど、体調を崩しましてですね、もうとても学業に専念できるような状態じゃなかったんですよ。
本当に。
自律神経失調症のひどい感じになってしまいまして、最後は。
うん、あのー耳がですね、こっち(左耳をつまんで)、耳が今もこんな感じですけど3倍ぐらいに腫れ上がってるっていう状態が大学を辞める最後の半年近く、ほぼ続いてまして、要は体中がパンパンに腫れて炎症な状態なんですよ。
アトピーどころの話じゃなくて体中が炎症を起こしている状態でもう常に抗生物質を飲まないと抑えられないっていう状態なんですね。
抗生物質を一日でも飲まないとぱーっと全身、顔も本当にパンパンにむくれ、むくむっていうか腫れ上がってくる状態。
真っ赤で。
常に微熱がある。
37度5分とか。
そういう状態が5、6ヶ月続きまして。
もちろんアトピーもぐちゃぐちゃです。
あのステロイドって聞いたことがあると思いますけど、その湿疹を抑える塗り薬を使ってたんですけど、ステロイドも最強ランクまでいきまして、これ以上強い塗り薬のステロイドはないっていう最強ランクのステロイドを毎日べたべたに塗って、それでも抑えられないっていう状況でした。
もう体中がぐちゃぐちゃで傷口から汁が出てっていう状態が全身に続いて。
薬でも抑えられない。
そのアトピープラス自律神経失調症みたいな感じで全身が炎症を起こして抗生物質も飲み続けてっていう状態が半年ぐらい続いて、当然学校は行けません。
そんな状態じゃ。
まあ行ける人は行けるのかもしれないですけど僕のそのときの精神状態じゃとても行けない状態で、もうこれは死ぬかもしれないと思ったん
です(笑)。
笑い事じゃないんですけど。
このままこんな強い薬を毎日使い続けてそれでも体がおさまらない。
学校行けないなら仕事なんてなおさら出来ないわけで。
いや、死ぬなって思ったんですよ。
本気で。
うーん、だから、もうこれは学校を辞めてどうにかするしかない。
っていうことで、どうにかしたんですけど。
っていう流れです。
そして、まあ実家に帰って来まして。
大学を辞めて。
それで約2年ぐらい体調を整えるための期間がありました。
その2年ぐらいの期間は仕事もしてません。
もう家にずっと引きこもってました。
はい。
何をしたかっていうとですね、家に帰って。
僕はね、薬を一気に止めたんですよ。
スパッと。
はい。
これはね、いまとなってみればすごく危険なことで、危険なことなのは分かるんですね。
でも僕はそれまで使ってた強い薬を実家に帰るとともに一気にスパッと止めました。
知識はそんなになかったんですけど、もうなんとなく分かってたんですよ。
もう薬をずっと使い続けている限り僕のこの体は本当に、本当の意味で回復してくれないと。
うん。
だけど、親元を離れて一人で生活する上で薬を止めてそれでいままで抑えていた症状が全部出てくると、とてももう学校に行くとか仕事に行くどころか日常生活もままならない状態になるのも分かってたんですね。
だって、強い薬で抑えて抑えてやっと日常生活ががんばって出来るかなっていうぐらいだったので、それを止めてしまえば本当に家から出られないっていう状態になるのは分かってたので、一人暮らしのときはもうどうしようもなく強い薬をずっと使ってました。
でも実家に帰れば親に甘えられる環境が幸いにもあったので、もうここはとにかくちょっと悔しいけど、申し訳ないけど親に甘えようっていうことで薬を一気に止めました。
そしたらですね、すーごいことになりまして。
本当に大げさじゃなくて最初の半年は寝たきりでした。
寝たきり。
もう動けないですね。
なんとか食事とあとトイレとお風呂っていうこの3つはなんとかやったんですね。
もう歯を食いしばって。
泣きながら。
だけど食事を食べる、トイレに行く、あとお風呂に入る以外はずーーーっと寝てました。
半年間。
半年間。
僕はいま体重が73キロぐらいなんですけど、その当時、寝たきりの当時は一番落ちたところで54、5キロまで落ちました。
今よりだから20キロ近く体重が落ちて、本当に骨と皮だけみたいな感じになってですね、どういう状態かというと全身の皮膚がないっていうか、全身がかぶれて傷でじゅくじゅくと浸出液が出ている状態なんです。
常に。
血が出て固まってるとか、汁が出て固まってるっていう状態ではなくて、もう常に出続けている状態なんですね。
びちゃびちゃびちゃって。
だからね、あの、その当時敷き布団を使ってたんですけど、敷き布団も一晩寝るとシーツだけじゃなくて布団全体がびっちゃびちゃになるんですよ。
液で。
信じられます?
はははは、信じられます?
信じられます?これ。
ほんとに、それぐらい体から浸出液がじゅぶじゅぶじゅぶじゅぶ全身から出て、今でもインパクトが強かったので覚えてるんですけど、寝てて動けないわけなんですけど、寝てるしかないんですよ。
本を読んだり携帯を触ったりとか、そんな元気もない。
そんな気力もなくて、もうただ横になって呼吸をしてるだけ。
その最初の半年はね、将来の不安とかそういうのも感じる余裕もなかったですね。
もう必死で。
必死でっていうか、そこで呼吸をしてて寝てるだけで精一杯。
だからね、人ってほんとに大変なときって悩む余裕ないですよ。
これ僕は経験上。
ほんとに大変なときは悩んでるとか、そういう暇はないです。
そういう状態だったんです、僕。
半年ぐらい。
だから僕はこのままの体で将来どうなるんだろうとかそういうことを考える気力さえもなくて、もうただ横たわって呼吸をしてるだけっていう状態だったんですけど。
そのときね、覚えてるのが、そうやって寝てて頭から汁がね、ドクンドクンドクンドクンドクンドクンって出て行ったんですよ。
いきなり。
引っ掻いたわけじゃないですよ。
こう引っ掻いたわけじゃなくて、ぼーってこう普通に寝てたら突然なんか頭の方から汁がね、だだだだだって枕カバーとか枕も変え
たばっかりなのに枕がビチョビチョになるぐらい液が出てとか。
あと、ある日は膝の上のほうにお茶碗大の膿ができたりとか。
またこれも(笑)
あの、大げさだって思うかもしれないですけどほんとなんです。
本当にお茶碗くらいの大きさの膿が出来て。
朝起きたら。
その膿っていうのが大変だったとかね。
そういう状態で、それは僕の解釈なんですけどそのときっていうのはもう今までそれまで溜め込んできた体の中に、薬でずっと抑え続けてきた僕の体にとっては老廃物っていうんですか、老廃物っていうのをその薬で上から抑えてた、その抑えが取れた状態を作ったわけなんで、その抑えが取れたときに今チャンスだってことでどんどんどんどん出て行ったんだろうなと思います。
当然ね、すごく危険なやり方です。
これでねあまりにも免疫力が落ちてひどい感染症とかになったり、ほんとに内臓疾患とかで命の危険が及んだりする可能性もあると思うので、強い薬を急に止めたりすると。
だからこれは僕は人にはお勧めできません。
自分がやっておいてなんですけど。
ほんとにね、まいりましたね。
半年かけて全身からどんどん血が出て液が出て、体重も20キロ痩せて骨と皮の状態になってってやってると、半年ぐらいするとねやっぱりある程度落ち着いてくるんですね。
体の中からある程度出しちゃったんでしょうね。
ある程度出してしまって、ちょっと落ち着いてきたんですよ。
皮膚の症状も。
そしたら次のレベルとしては相変わらず寝たきりなんですけどちょっと本とかを読めるようになったんです。
寝ながら本を読む余裕が出てきました。
そのときにいろいろ本を読んでたんですけど、実はですね、そのときに読んでた本というのがすごく今の仕事に役立ってまして、なんかですね、興味の矛先がほんとにいま僕「こころとからだ」っていうブログをやってて、こころとからだについてやってるんです。
仕事もね。
そのこころとからだに関する本ばっかりだったんですよ。
読みたくなる本が。
なんか気晴らしに雑誌を読んだりとか、なんか趣味の本を読んだりとか、そういう気持ちは全く起こらなくて、とにかく今のこの仕事に生きるような内容の本だけにしか興味がなくて。
読みあさってました。
その時期に、すごく。
っていうか寝たきりだからそれしかやることがないから。
そのときはなんの意識もなくただ読みたいから読んでただけなんですけど、今となってみれば、すごい財産を得たなあの時に、って思いましたね。
なんて言うんですかね、体がきついから必要以上に考え事が出来ないんですよ。
必要以上に考え事が出来ないってのがすごく僕はいい風に働いたと思っていて。
要はね、本を読むときってなんか書いてあったら自分の考えと照らし合わせてなんか分析をしたりするじゃないですか。
どうしても。
面白いとか面白くないとか。
これは正しいとか間違えてるとか。
でもそのときの僕はそういうことをやる余裕がないので、もうとにかく読んで、考えられなくて。
感じることしか出来なかったって言うんですかね。
そのまま読んでその文章に書いて感じた印象をそのまま体の中に、自分の体の中に、頭の中にって言うんですかね、取り込むことが出来たので、そういう意味ですごく情報のインプットの時期だったと思うんですね。
だからそれはすごく良かったんですよ。
そうやって寝たきりで何も出来ない状態からちょっと本を読める状態になって、もうちょっと落ち着いてきたら家の中を移動するぐらいだったら出来るようになった。
相変わらずぐちゃぐちゃですよ皮膚は。
ちなみに。
ちなみにその時期は本当に家から一歩も出てなかったんですけど、たまーにこの親戚のおじさんおばさんとか、まあその他知人が家に訪れ
て来たときに僕は出来るだけ顔を合わさないようにしてたんですけど、見られたくないから、そんな姿を。
だけど、ちょっと遭遇しちゃったことがあったんですよ。
遭遇しちゃったことがあったんですよ。
その僕の、ぐちゃぐちゃな姿を。
そしたらそれは親戚のおばちゃんだったんですけど、僕を見た瞬間にすごい顔をしまして。
忘れられないですね、いまでも。
はーーーっていうすごい顔をしまして、その後にね、ぼろぼろ涙を流して泣いたんですよ。
そのおばちゃんが。
僕ねえ、自分の中では一番ひどいときよりも良くなって、家の中でもきついとはいえ動けるようになってちょっと良くなってきたかなっていう矢先にそれだったので、これねえ僕すごく精神的にショックだったんですね。
そのおばちゃんからしたらほんとに優しい、優しいおばさんなのですごく同情してくれたというか、かわいそうだと思って自然に泣いたんだと思うんですけど、僕は、一般の人から見ると僕はそうやって悲鳴を上げそうな顔になって、それで見た瞬間に涙が出てしまうような姿なんだ俺は、と。
それで落ち込みまして、落ち込みまして、また悪くなっちゃったんですよ、アトピーが。
そういうことを繰り返してですね、やっと1年くらい経ってからですね、外に出られるようになったのは。
それでもなんやかんや波がありつつも落ち着いて1年ぐらいでやっと外に出られるっていう勇気が持てるようになって。
とは言ってもまだとても仕事をしようとかそういう状況にはなれなくて、多分体もそうですけど精神的にそうなんですね。
それに大学も中退してるし、ろくな職歴もないし。
バイトの延長みたいなことしかやってこなかったんで。
ろくな職歴もないし、そもそもなに、やりたいこともないし。
大学中退でそういうキャリアもない自分に何が出来るの?
っていうと何も思いつかなかったし。
体が健康だったらそれでもできる仕事を探して一生懸命やるっていう選択肢があったんでしょうけど、うーん、それも出来ないと。
なかなか。
その辺から思い悩み始めました。
悩み始めましたね。
でもね、さっきも言ったように悩めるってことはちょっと元気なんですよ。
これは本当に。
僕はどん底まで味わったので分かるんですけど、悩み始められたってことはちょっと体が元気になってきて余裕ができて、考えるってことが出来るようになってきたってことなんですけど。
今となってみれば。
そのときは苦しかったですよ。
当然。
何しようかなって思ったときに、僕はほんとに小学生のときからアトピーで結構あの周りの友達とか知り合いとかから、すごく優しい友達が多かったんですけど、中にはあの、悪気がなくてすごいひどいことを言ってきたりする人もいたりですね。
それでコンプレックスとして強く持ってたんですよ、アトピーを。
自分はもうアトピーっていうコンプレックスがあってその当時は僕は自分はアトピーじゃない他の人よりも一番劣った存在だと思ってたんですね。
周りの友達見ても。
少なくとも僕の周りの友達には僕ほどアトピーで苦しんでる人はいなかったんですよ。
いなくて、自分で言うのもなんですけど僕ちょっと成績良かったんですね(笑)。
学校の。
学校の成績良くて、まあまあスポーツも出来るほうだったんですね。
自分で言うのもなんですけど。
まあまあスポーツも出来る方で勉強もできるほうだったんですよ。
小学生のある日に僕の同級生で、これも言ったら悪いですけど僕より勉強できなくてスポーツもあんまり出来ないっていう子がいて。
それで人の価値が決まるとか言ってないですよ。
成績も僕よりちょっと悪くてスポーツもあんまりできないっていう子がいて、男の子で。
その子と喋ってるときに衝撃的な一言を言われたんですよ。
僕ひーこーって呼ばれてるんですけど、
「ひーこーはすごく頭も良くてスポーツもできてすごいけど、なんかぶつぶつがいっぱいあって気持ち悪いから俺はひーこーにはなりたくない」
って言われたんですよ。小学校4年生のときに。
これショックじゃないですか?
僕の中のそのアトピーでみんなより劣ってるっていう僕の中の唯一のプライドというか見栄の部分がそういう成績がいいとか、スポーツが出来るほうだとかそういうことで自分は人より勝ってるって思い込みたかったんですよ。
でもそれが否定されて。
コンプレックスとしてずーっと持ってたんですが、それは大学に入っても続いてたわけですよ。
地元の友達は一応進学校なのでほとんどの人は大学に進学して。
一番多いのは琉球大学とか沖縄のその他の私立大学とか行くんですけど、僕は筑波大学っていう大学に進学したっていう話をさっきしましたけど、ちょっとね僕はそのコンプレックスの塊なんで筑波大に行ってる自分というのが唯一の優越感だったんですよ。
醜いですね。
醜いですけど、その当時コンプレックスに包まれて人に勝るものがないと思っていた僕には周りと比べて自分はこれが上だっていう価値観でしか自分の存在を維持できなかったんですよ。
もう今となっては学歴とかそんなのはどうでもいいですけど、そのときはそうだったんですね。
俺は周りの友達に比べたらまあいい大学に行ってると。
どうだすごいだろう、みたいな。
そういう歪んだ優越感でなんとか保ってたんですよ。
自我を。
プライドを。
それが中退ですよ。
はははは。
それが中退して、大学中退してもう一年以上もなんも仕事もしてなくて家に引きこもって。
周りの同級生、ちょっとバカにしてた同級生達はみんな公務員になっちゃったりとかまあそこそこいい企業に就職したりとか。
人生の階段を着実にステップアップしてるわけですね。
どうですかこの状況?
僕は唯一の砦だった学歴も失い、体はボロボロ。
周りの同級生は(笑)。
そういう感じでコンプレックスの塊だったんです、相変わらず。
体はちょっと良くなってきてましたけど。
でね、そのときの僕はすごいことを思いついたんですね。
僕はこのままじゃ悔しいと。
だから、この状況を逆転するには、って考えたんですよ。
周りの同級生は大学卒業して安定した職に就いて、中には結婚しはじめたりね。
この状況を逆転するにはどうしようと思って。
なんだと思いますか?
そこで出した結論。
なんだと思います?
医者になろうと思ったんですよ。
また(笑)。
医者になろうと思ったんですよ。
どうせまだ外に出て仕事もできないし、なにもないんだったら、自分にはなにか資格が必要だなと思ったんです、とにかく。
大学も中退だし、職歴もないし健康な体もないからなんか専門的な資格を持ってそれで勝負できないと多分ね、健康な体がない状態で人並みな仕事をするのは無理だって思ったんでなんか強みを持たないといけない。
資格を取らないといけないってなんとなく思ったんですよ。
最初は英語を勉強して沖縄の基地の中で働こうかなとか、色々考えたんですけど、でもどうしてもね健康産業で働くってのが選択肢から外れなかったんです。
というか、それしかないなっていうのがなんとなく感じてたんですよ。
そうなんでしょうね、たぶん。
そこまでしてもやっぱ自分は健康産業で働きたい。
なんでも良かったっていうか、なにをしていいかは思いつかなかったんですけど、さっきも話した僕はコンプレックスの塊だったのでやっぱ周りの人に一目置かれたかったんですよ。
友達とか同級生とかに。
大学も中退して体ぼろぼろの僕がまた周りから一目置かれるようになるためにはなにをしたらいいかって考えたんですね。
コンプレックスからの考えですよ。
こんなのうまくいかないです。
いますよね、周りにも。
なんか周りに評価されたいからそれをやっているっていうね。
それはうまくいかないし、自分が苦しむだけです。
どんどんどんどん。
そういうことも分かんないで、周りを見返すにはここからまた勉強して医学部に入って医者になろう。
医者になったらみんなにすごいって言われるに違いないと思ってその当時の僕は勉強を始めました。
医学部に行くために。
親にもお願いして、自分のこの体で苦しんだ経験をやっぱり生かして人様の役に立ちたいからもう一度チャンスを下さいと。
一度関東の大学まで行かせてもらってそれを辞めて帰って来た息子がまた大学に行かせてくれとか言ってるわけですよ。
親からしたらね、そんな金の余裕もないかどうか分かんないけどきついじゃないですか、やっぱり。
だけどうちの親は何も言わずにオッケーしてくれたんですね。
いいよお前がやりたいんだったらやればいいよって。
うーん、すごいですよ。
うちの親は。
ちなみに、ちょっと話があっちこっちいって大変ですけど、大学を辞めて帰って来るときも僕は親に反対されると思ったんですね。
そりゃ卒業して帰って来いって言われるだろうなと思ったんですけど、親に話したらすぐね、もうお前が決めたことなんだったらそうしなさいって言って家に帰って来て、健康な体に戻るために家で面倒見てあげるからっていう風に言ってくれて。
うちの親っていうのはとにかくね目先のことだけじゃなくてちゃんと僕のことをすごく信頼してくれて、すごく感謝しているんですけど。
まあ、その話は置いといて。
医者になるってことで勉強をしました。
はじめました。
大学受験のときに使った参考書が手元に残ってたので、
もう一回センター試験の勉強をしはじめました。
そうしてるうちにだんだん体調が良くなってきて、もうね、家で勉強をしているだけだとやっぱりちょっとね、気分転換が出来ないし、ちょっと外にも出て行きたいな、たまには息抜きでって思いはじめて、仲のいい友達には会いはじめていたんですね。
たまに。
それでも包帯ぐるぐる巻きの状態ですよ、顔以外全身。
包帯ぐるぐる巻きの状態なんですけど、外に出るときは。
それでもすごく仲のいい友達には会って食事をしたりしてて、仕事をしてなかったので当然お金もないわけですよ。
それで毎回外に食事に行くときは親から小遣いをもらったりとか。
その当時24才ぐらい。
情けねーなーと思って。
24才で、大学中退で、無職で。
いくら病気とはいえ親から小遣いをもらって。
それはあまりにも情けねえなと思って。
ちょっと自分が気分転換で外に出たりとか自分のやりたいことくらいは自分の小遣いでっていうか自分のお金でやろうと思って、ちょっと息抜きにもなるしバイトしてみようかなっていう気持ちになったんです。
ようやく。
外でバイトしてもいいかなっていうくらい体調が回復してきて、バイトを探し始めました。
結論としては、その探してたバイトで入ったところが今の勤務先の整体の学校なんですよ。
これすごいじゃないですか、なんか。
うん。
医学部の受験をしようと思ってて家に引きこもって勉強をしてて、でもなんか、ちょっと小遣いぐらいは、自分で使う小遣いぐらいは自分で稼ぎたいからちょっと息抜きにバイトをしようと思って探したバイト先が、今の僕が働いている整体の専門学校なんです。
はい。
ちなみにですね、ネットで探してたんですけど、ボーリング場があったんですよ。
僕はやっぱり夜のバイトだとまた体調崩すし生活リズムがおかしくなるので昼間のバイトを探してたんですね。
週2、3回ぐらいできる。
ボーリング場で、近くにあるボーリング場がちょうどその条件で求人してたので、もう電話して面接まで決まったんですよ。
電話して面接決まって、じゃあ俺はボーリング場でバイトしながら医学部に行く勉強をしようという流れだと思ってたんですね。
たまたまもう1コ次のページをクリックして開いてみたら今の勤務先の整体の専門学校が出てたんですね。
求人が。
整体?なに?整体?
そのとき僕、整体っていうことを全然知らないで、なんかテレビとかのイメージで骨をポキポキ鳴らす人達かなーぐらいなイメージしかなかったんですよ、整体。
なんかあやしい、みたいな。
ほんとです。
整体は骨をポキポキ鳴らすあやしい人だと思ってたんですね。
整体専門学校の講師補助を募集しますみたいな求人が出てて。
でも、将来医者になるんだったらボーリング場でバイトするよりは整体みたいなあやしいことだろうが、一応人の体に関係することだからボー
リング場よりは得るものがあるだろうと思って。
その整体学校に履歴書を送ったんですね。
履歴書を送りました。
面接が決まりました。
その最初に面接をしてくれたのが今の学院長、ボスなんですけど、その当時まだ結構アトピーひどかったんですよ。
まだまだ。
外に出ようという気になったとはいえもう一般の人から見たら十分うわーアトピー大変だねっていう状態でした。
その状態で行って。
僕はね、面接落ちるだろうなって思ったんですよ。
整体の学校。
なんでかっていうと、やっぱ体に関係する仕事じゃないですか。
その体に関係する仕事をやる上でこんなアトピーひどくていかにも病気ですっていう人がやっぱり人の体に関わる仕事をするっていうのはちょっと無理なんじゃないかなって思ってたんですよ。
そのときの僕はね。
大学を中退したこととかアトピーでこういうこととかも全部正直に話して。
面接のときに。
それでだめだったらしょうがないなと思って行ったら、そのときのうちの学長がですね、
「いやー、あの、この業界は照喜名さんみたいな人こそ必要なんですよ。」
って言ってくれたんです。
はい。
あの、体のことで何の苦労もしてこなかった人よりも照喜名さんみたいに自分の体のことでいっぱい悩んできた人こそがこういう整体の業界には必要なんですよって言ってくれて。
僕ねえ、その場で泣いちゃったんです。
いまもちょっと泣きそうですけど。
その場で泣いちゃって。
なんで嬉しかったかって言うと、あのー、自分はどこに、なんて言うんですかね、自分を必要としてくれる人はいないと思ってたんで。もう、そのときはもう自分は何の価値もない人間だと思ってたので。
なんの価値もない人間だけど、って思ってたので、そこであなたみたいな人こそ必要なんですよって言ってくれて、嬉しかったんですね。
すごく。はい。
でもなにもないですよ。
整体のスキルは。
一応体育学部で勉強してきて基本的な解剖生理学は知ってるとか、ちょっとマッサージは出来るとかその程度で。
だけどまあ講師の補助として授業の補助としてやってくれればいいからみたいなかんじで週3ぐらいではじめたんですね。
まだそのときは学校も開校したてで生徒数も総数で20人もいなかったかな。
20人もいなかったぐらいで、授業もすごく少なくてですね、結構空いた時間があったので僕はその空いた時間に講師としてその学長以外に
2人の女性講師がいたんですけど、2人の女性講師に教わってたんです。
実は。
バイトとして入って、整体の専門的なスキルっていうのがなにもないので、空いた時間に整体の講師から僕は教わってました。
ゼロから手技を。
今考えたらすごくラッキーな話なんですよ。
本来だったら専門学校に入学してお金を払って身につける技術を、僕は講師補助っていう一応アルバイトの立場なんですけど、アル
バイトとして入ってそこで教えてくれたんですね。
あのー、ちょとねえ、乱暴な話というか、まあ現実なんで話しますけど、整体とかっていうのは国家資格じゃないんですね。
国家資格じゃなくて民間資格で、民間資格ってことは民間団体がこの人はこうだって認めてくれたらその時点で資格が発行されるんですよ。
だから極端な話今ご覧になってる7人のみなさんの中にももしかしたら整体の仕事をされてない方もいるかもしれないですけど、極端な話いまからあなたが「私は整体師です」って言えば整体師になれるんですね。
民間資格だから。
例えば鈴木さんていう方がご覧になってるとして、鈴木整体なんとかなんとかみたいな、鈴木整体研究所みたいな、例えば作ったとしたらそれは成り立つんですよ。
っていう、ちょっとね、業界なんですよ。
だけど当然資格だけ持ってても実際お客さんの役に立てなかったらなんの意味もないので、当然民間資格をいっぱい持ってるからといって使えないとなんの意味も無いので。
そういう意味では実力至上主義の世界です。
だから資格云々は全く関係ない。
逆に言うと。
持っててもどれぐらいの価値があるかどうかなんて分からないから。
国家資格っていうのは明確な基準があるじゃないですか、ちゃんと。
みんなが同じ試験を受けてこれにパスしないと国家資格、3年間の同等の教育を受けて最低レベルの成績を修めて試験でもちゃんと同じ課題をクリアしないと国家資格は得られないので、国家資格っていうのはまあ、最低限これぐらいの知識はあるっていうのは認められてる資格なんですけど、整体ってのはそういうの一切無いんですよ。
ほんとに。
例えばね、リフレクソロジーとかっていう足裏マッサージだと一日セミナー受けただけでなんとか協会認定リフレクソロジストみたいな認定証が発行されたりするような世界なんですね。
私達の世界って。
だからね、知っておいてほしいのは、整体とかねリラクゼーション系は認定証、どんな資格を持ってるとか認定証がどうとかそういうのはね、関係ないです。
はい。
もちろん今まで実績を残してきて世間的にも民間資格だけどすごく認められてる協会の資格だったらやっぱそれなりの価値はあると思いますけど、基本的にはそうなんですよ。
そういう状況なんですよ。
っていうことは、教える資格も要らないっていうことなんです。
民間資格って。
教える資格も要らないっていうことなんですよ。
だから僕は整体の専門学校で働いてたんですけど、その学校がこいつを講師として送り出すっていうふうにやれば講師になれちゃうんですね。
僕は講師として育てられたんです。
ははははは(笑)。
これすごい話ですよね。
これ学校の生徒が見たらちょっとどん引きするかもしれないですけど。
講師として育てられて。
ただね、そこで学長が買ってくれたのは、講師補助のバイトを二人募集してたんですけど、その時。
もう一人の方も今も働いてますけど。
そうね、30人ぐらいの応募があったらしいんですよ。
まず履歴書をFAXで送ったんですけど、履歴書の応募だけで20人から30人ぐらいの応募があったらしくて、その中で面接を10人ぐらいやって、選ばれたのが僕ともう一人だったんですけど、選ばれた基準がね、大学だったんです(笑)。
筑波大学。中退。
うちの学長は関東の人なんですけど、筑波大学、おー筑波大学、しかも体育学部だったので筑波の体育だったらそれなりに体のこと知っ
てるだろうってことで面接に呼んでくれたらしいんですね。
だから僕大学辞めちゃったんですけどなんか、きっかけとしては筑波大学中退っていう、これ学歴になるのかどうか分かんないんですけど、まあそれが活きたんですけど。
分かんないですね、話がね。
まあまあそういう感じで講師として育てるための教育を受けてたんですよ。
これね、すごくおっきいと思いません?
例えば、僕が整体学校に学生として入学したとしたら、違った展開になったと思うんですよ。
僕はもう最初っから講師になるための教育を受けてたんですね。
この違い分かります?
学生として入学させてお客様に気持ちいい施術とか、いい施術を出来るようにってことで教育を受けるのと、そういう人達を育てるための人になるための教育っていうのは質が違うんですよ。
質が違うし、こっち側のモチベーションも違います。
うん。
やっぱね、これはもう確実にそうなんですけど、人に教えるっていうこと以上の学びっていうのはないんですよ。
ほんとに。
だから皆さんもね本を読んだりセミナーを受けたりその他諸々学ぶっていう機会があったら、それをね人に教えるんだ、自分が人に教えるんだっていう気持ちで学ばれるといいと思います。
全然違いますから。
入り方。
だって教えなきゃいけないんですよ!
今自分が聞いてあーあーって分かったつもりになってるだけじゃ人に教えられないので、人に教えるためにはこうしなきゃいけないっていうことが前提で学ばなきゃいけないので、僕はもうとにかく必死でした。
必死でした。
試験も厳しいですやっぱり。
学生にやる試験よりも講師になるための試験の方がよっぽど厳しいですよね、当然。
だから、ラッキーはラッキーなんですけどすごくきつかったですよ。
すごくきつかった。
でも僕はもうほんとに努力して、なんとか。
なんで努力したかっていうと、整体が楽しかったからどうかじゃなくて、僕はそのさっきちょっと泣いちゃったあの学院長の一言がすごく心にあってですね。
僕はこの人のために一生懸命働きたいと思ったんですよ。
単純で。
必要としてくれてる人が一人でも、こんな僕でも必要としてくれる人がいるんだったら僕はこの人のために働いて、この人の役に立つような仕事がしたいと思ったんですね。
今でも思ってるんですけど。だからね、いまは結構個人で、学校以外の活動でセミナーやら施術、お客様の施術やらいろいろで、結構仕事の幅が広がってきて、結構ねいろんな人から独立しないの?とかひとりでやったらいいのにとかって言われるんですけど、僕はね、その面接のときに言われた学長の一言がずっと心に残ってまして。
いまはそのバイトから入ったんですけど、結局いま僕主任講師みたいな立場になってるんですよ。
スタッフ10人ぐらいいて、一応まとめ役っていうか。
そういう形にまでさせていただいてて。
自分で言うのもなんですけど、すごく学校にとって必要とされてるというか必要としてくれてるんですね、学校が。
そういう状態で自分の仕事がやっとうまくいくようになったから辞めますなんて出来ないですよ。
やっぱり。
できないし、別にやろうとも思わないです。
思ったこともありますけど、ちょっと(笑)。
調子に乗ってちょっと思ったこともありますけど。
僕はこの学長が拾ってくれなかったら今頃どうなってたか分かんないので、その学長がね必要としてくれるうちは、僕は学校のために働きたいっていうのはあります。
いまでも。
そういうことは置いといて。
そうやって少しずつ積み重ねてきて、少しでもやっぱ学校で入学してくる学生に対して、少しでもいい授業をして、その卒業生達が世の中で貢献できるようになってくるっていう、そういう人材を育てることが僕は学長への恩返しだと思っていたので、とにかくいいものを提供できるために自分になにができるんだろうっていうのを必死で模索してきました。
もっといい授業をするために、いい授業ってのはいい整体師を育てるためにということなんですけど、それを育てるためにはどうしたらいいかってことを必死にやってきたこの5年間、もう5年半ぐらいになるんですけど。
だからあのね、自分で言うのもなんですけど、僕が、僕一人がいい整体師になるために勉強していた質よりは何倍も質がいい勉強をしてきたっていう自負があります。
僕は。
僕自身がいい整体師になるためじゃなくて、いい整体師を送り込むためにどういうノウハウを伝えていかなきゃいけないか、どういうスキルが必要かっていう価値観で、さっきも言ったように教えるために勉強してきたので、当然自分の技術を高めるためにやることも一緒にやりましたよ。
自分の技術が高まるだけじゃなくてその技術を人に伝えられるようになるっていうために僕は勉強してきたので、そういう意味ではじゃあこれから整体師になろう、自分が整体師になろうと思って入学して勉強して、自分の技術のためにっていうだけの5年間だったら多分僕はいまの状況はなかったと思います。
だから、すごく教えるっていうのはとっても自分の成長のためにはとても役に立つことだと思ってますね。
そうこうしてるうちに、さっき僕医学部の勉強の合間に整体学校っていう話をしましたけど、医学部っていうのが消えてたんですよ。
頭の中から。
整体の今の学校も最初は週3勤務の一日5、6時間ぐらいからやってたのがだんだん週4になり週5になり。
そのうち授業も持たされるようになりっていうふうにやっていってるうちに、あれ?俺医学部行きたいって思ってたよな、そういえばって感じで、だけどもういいや、と思ったんですね。
なにより人間としては僕のことを必要だって言ってくれた学長のために恩返しがしたいっていう気持ちもあったし、楽しくなりはじめてました。
やっぱり整体に関して。
やっぱ僕がやりたいのは西洋医学じゃないなというのは、なんとなく思って。
西洋医学じゃなくてもっと根本から体を整える、要は出て来た悪い症状を化学反応でどうにかして抑えるっていうことじゃなくて、ほんとに自分の体っていうのを根本的な部分から立て直して、ほんとの、なんていうんですかね、体の健康っていうものを手助けしたいなって思って。
整体でそれが出来るっていうのが分かってきたんですね。
その、一生懸命勉強してるうちに。
別に医者と比べてどっちが上か下かとかそういうことじゃなくてどっちも必要な仕事だと思うんですよ。
まだまだ世の中的には病院のお医者ていうのが体っていう面ではトップにいますよね。
だけどそうじゃないなって、僕は思って。
お医者さんが必要じゃないっていう意味じゃないですよ。
やっぱ体の調子がおかしくなってっていうときはお医者さんは絶対に必要な方なんですけど、逆に整体師だからこそできることっていうのもあるなって。
医者には出来ないけど整体師に出来ることっていっぱいあるんですよ。
あるんですよ。
病院じゃどうにもできないけど僕らにしかできないことってあるんですよ。
でね、そっちのが楽しいなって思ったんです。
楽しいっていうかね、やりがいがある。
そっちのがやりがいがあるって思ったんですね。
人の体っていうのは、調子がおかしくなるっていうことは簡単に一言で言うとバランスが崩れてるっていうことなんですよね。
なんかの。
バランスが崩れてるものを整えるっていうのが僕は整体師だと思ってるんですけど。
それをやることにとても楽しさを、楽しさというかやりがいを感じられるようになってきまして、それでもうはまりました。
そこからガツンと。
それが今に至るっていう感じです。
もう一時間近く語ってますね。
7人の方が見てくれてますけど。
もう自己紹介はこの辺にして。
結構ね、コンプレックスの塊でほんとにひねくれてました。
性格が。
ほんとに。
コンプレックスの塊でほんとに自分に自信がなくて、根本的なところでは。
根本的なところで自分に自信がないから、でもそれを人に悟られたくないし、なにより自分でそれを認めたくないんですよ。
自分が劣った人間だってことを。
そもそも劣った人間だって決めつけてるのも自分自身なんですけど、その自分が劣った人間だっていうのを自分で認めたくないから外側で装飾しようとしたんですね、いろいろと。
その一つが学歴とかだったわけなんですけど。
そういうね、自分を装飾する外側の条件まで全部失って、そのときにねやっと一番大事なものはこれだな、こういうことなんだなっていうことが分かったので、だからね、良かったですよ。
苦しかったですけど。
そんなね、収入とか学歴とか身長とかルックスとかそんなことじゃない。
人の価値は。
ていうのが心から気付けたからすごく良かったです。
なんでこんな話になったんですかね。
あーまあまあまあ、まあいいや。
整体っていう仕事をやっていくステップがありまして、うちの学校はもちろん骨格調整とか骨盤の調整とかね背骨の調整とかそういうのもあるんですけど、メインのカリキュラムではないんですよ。
まずはこういうのを最低限できるようなっていうのは筋肉のほぐしなんですね。
うちの学校で教えてるのは。
リラクゼーションマッサージって俗に言われてる筋肉のほぐしによって固くなった筋肉をゆるめることによって体の自然治癒力を引き出そうみたいなことが一応基本としてあるんですよ。
そのリフレクソロジーとかタイ式マッサージとかいろいろあるんですけど、アロマもあるし。
あるんですけど、まずは僕はそれをしっかりできるようにっていうことで技術の練習を猛特訓をしました。
いっぱい。
学校でも特訓したし、仕事してないときは友達とか親戚とかその他知人を呼んで、もう出来るだけ人の体を触るという時間を作ってました、年中。
人と会えないときはタオルとかクッションとか自分の体とかを使ってとにかく量稽古をして、ある程度筋肉をほぐすっていうことが技術的にはちょっとまあまあ出来るようになってきて、その次のステップとしては、まず筋肉のほぐしが出来るようになりましたと。
そしたらやっぱり理論も大事なんだなと。
例えば触ってただここが固いからほぐすだけじゃなくて、もっと体のことを知ってメカニズムを知ってってやったほうが効果的だよなってことに気付いて、そこから理論的なこともしっかり学ぶようになりました。
もちろんそれまでも筋肉の名前とか骨の名前とかそういうのは勉強してたんですよ。
だけどその解剖学の知識ってのがリラクゼーションマッサージに生きてなかったんですよ、全然。
例えばももの裏にはこういう筋肉、例えば大腿二頭筋(だいたいにとうきん)と半腱半膜様筋(はんけんはんまくようきん)があ
りますと。
この半腱半膜様筋(はんけんはんまくようきん)はここからここにくっついててこういう仕事をしますっていう知識はあったんですよ。
だけど、それをね、マッサージに、整体に生かす方法がいまいち分かってなかったんですよ。
恥ずかしながら。
情けない。
分かってなかったんですね。
ただ筋肉の名前とかそういう体の機能とかそういうのを知識として知ってて、それをねボディケアーにどうやって組み込んでいくかっていうのが分かんなかったんですけど、それが少しずつ出来るようになってきたんですね。
次のステップとして。
ここが固いからほぐすとかここが痛いからここをゆるめるとか、それだけじゃなかなか人の体って根本的に良くなっていかないなあってのがあったので、どういう風に体を触っていけばいいのかなっていう次のステップとして機能解剖学というか、体は例えばこういう動きがつらいってことはこの筋肉がこうなってるからって、やっとつなげられるようになったのが次のステップで、そういう感じでいろいろなんとか療法とか、ありますよね、整体の世界でも。
なんとか療法みたいなことをいっぱい勉強して。
沖縄にはそういう専門的なセミナーがないので大阪とか東京とかどんどん出て行って勉強して。
ある程度僕の手によってお客様の体の状態を整えるってことが少しずつ出来るようになってきて。
その次のステップ。
まあ、はしょりますけど、いまやりたいことですね。
本当にやりたいことっていうのは、結局ね、整体師がどんなにゴッドハンドを身につけて体を楽にしてあげたとしてもそこはゴールじゃないなって僕は感じているんですね、いま。
もっと言うと、あのね、体調不良っていうことは、よっぽど急性的なことじゃない限りね、事故にあったとかそういうことじゃない限り日常生活のそのちょっとした悪い癖というか体に負担がかかっていることの積み重ねによって起きた不調、慢性症状っていうのは、その人が作ったものなんですよ。
生活の中でね。
その人が作ってきたものが体に素直に出てきてるっていう状態を例えばゴッドハンドの整体師がそれをパンとこう治しちゃったとしますよね。
当然痛みが取れるから嬉しいですよ。
そりゃ。
だけどね、それはほんとにその人のためになるのかなっていうのがあってね。
例えば、僕もアトピーで苦しかったって言いましたけど、いまでもちょっと残ってるんですね。
それでやっぱ生活が乱れてきたりとかその他諸々精神的なストレスがかかった時とか疲れが溜まった時というのは症状が悪化してくるんですけど、それを例えばすごい整体師さんがいて、例えばですよ、腰痛とかをアトピーに置き換えてアトピーをパッと治せますっていう整体師がいたとします。
僕が生活が乱れてストレスがたまって疲れがたまってアトピーが酷くなってきたっていうのをそこの整体にいけばパッとアトピーが治まるっていう状況があったときに、それは本当に僕のためになるのか?
っていうことなんですよ。
なると思いますか?
それはね、別に正しい間違えてるじゃなくて価値観の問題なので一概に正解はないところだと思いますけど、僕はね、なんか理由があって体調が崩れてるのにそれを第三者の手でパッと治してしまうっていうのは僕はねえ、長い目で見たらその人のためにならないなっていう風に思うんですよ。
僕の経験上。
体の経験上。
僕も本当に体のことでは辛い思いをしてきましたけど、それによって得た財産ていうのはすごくあるんですね。
僕ねたぶんね、体のことでそんなに悩みが無いままで、例えば整体スクールとか僕が入学したとしても今のような状況には絶対なれなかったと思います。
やっぱね、アトピーっていうとね、まあみなさんもなんか、なんとなくイメージもわくと思いますけど、あの健康食品がいいだとかこれがいいだあれがいいだっての周りの人が本当に言ってくるんですよ。
いろんなことを。
それは善意なんですよ。
善意で。
本当にこれがいいあれがいいって僕ら家族はそれに振り回されてました。
正直。
はい。
振り回されてましたね、完全に。
いろんな療法試して、試して試して試して、いろんなことをやってきて。
それでね、なんとなく思考レベルじゃなくて経験として健康の本質的なことっていうのが僕なりの気付きがあってですね、やっぱりねモノとかに頼るっていうのはゴールではないなっていうのが。
モノっていうのは特別なモノね。
これをやれば治るとか、そうじゃなくてやっぱ当たり前にやっている日常生活レベルの体の使い方だったり食事だったり、そういうものをしっかり整える基盤を作ることっていうのが王道で、そこがちゃんといってないのになんか特別なモノ、モノじゃなくても人、そのゴッドハンドの整体師とかね、に頼るっていうのは僕は本質じゃないなって感じてまして。
むしろね、その人の生活の乱れが原因で体調崩しているのにゴッドハンドで治してしまったら、その人の重要な気付きを奪ってしまうような気がしてるんです。
偉そうにすいません。
当然ね、取っ掛かりとしてはいいと思うんですよ。
もう腰が痛くて動けないのにそこからいまのこの辛い状況で生活の習慣を直しましょうとか体の使い方を直しましょうとか姿勢をきれい
にしましょうって言われたって、もうこんなにきついんだからそんな余裕無いわよっていう状態は確かにあります。
あります。
たしかに。
だからまずはこれがきつくてどうしようもないからっていうのを軽減させてあげるっていうのは、やっぱ僕ら整体師の仕事としては必要な仕事ではあると思います。
間違いなく。
でもそれによってちょっと痛みが軽減したんだったら、じゃああなたはこういう原因で痛くなったんだよっていうことをちゃんと知ってもらってそれを整えていく、本人が自分の自覚の下に整えていくってことが僕は最終的にはその人のためになることだと思っているんですね。
だから別に自分がやってる整体とか否定してるわけじゃないですよ。
必要だと思います。
悪い癖が、体の使い方一つにしても悪い癖があるっていうことをいきなりね、自分で直せって言われても無理がある場合が多いんですよ。
だってその癖っていうのは自分で自覚しないでやっていることなので、自覚してやってることじゃないことを直せってどうしたらいいのっていうことになってしまうこともあるんですね。
ほんとに深い癖だと。
それをね、いきなり運動指導だけでどうにかしようってなるとなかなかうまくいかないことも多いです。
多いです。
はい。
だから僕がやりたいことは悪い癖があってそれを自分の力だけでどうしようも出来ないときはその癖を修正してあげる手助けはこちらの手技とかコンディショニングでやってあげて、ある程度癖が直った、例えば腸腰筋(ちょうようきん)っていう筋肉がうまく使えないっていう体の状態に
なっている人がいたとしますよね。
腸腰筋(ちょうようきん)ていう筋肉がうまく使えないっていう状態の人がいてその人に、「いやーでも腸腰筋(ちょうようきん)ちゃんと使って体を使うことが大事だよ」って言ったところで使い方が分からないんですよ。
その人は。
うまく使えないからそうなってるのに、「いやー腸腰筋(ちょうようきん)ちゃんと使っていきましょう」って運動のフォームとかをいきなり教えたところでできないわけですよ。
ちゃんと。
そういう時に、整体師、スポーツトレーナー、コンディショニングトレーナーとして、その人の腸腰筋(ちょうようきん)がちゃんと働くように体を触ってあげて、骨盤整えたりなんやかんやしたりして、ちゃんと使えるような状態の、リセットした状態に持っていってあげるっていうのは僕は大事だと思います。
とても。
だから僕は運動指導だけでどうにかできるとは思ってません。
特に問題が深ければ深い程ね。
だけど、私達が整えてあげて一時的に楽になりました。
それでオッケーかっていうと、さっきも話したようにそれはその人にとっての気付きにならないし、ほんとの意味でその人が変わるってことにはつながらないんじゃないかなって思ってるんですね。
だから、あなたの体はいまこういう状態です。
だからこういうことが必要ですっていうのをちゃんと知ってもらって改善していきながら、じゃあここがうまく使えてなかったからここをちゃんと使えるような体の使い方を覚えていきましょうねっていう風にもっていってますね。
僕は。
コンディショニングでは。
腰痛でも肩こりでも生理痛でもむくみでも、なんでもそうです。
その原因ていうのはほんとに様々あるので、それはまた今度USTREAMではこういう僕の考え方じゃなくて具体的なお客様へのアプローチの仕方みたいなことをまたUSTREAMでやりたいと思ってるのでそれご覧頂きたいんですが。
まあ問題は、そこは今日はちょっと本題ではないので。
考え方なので、最終的にはやっぱり本人が変わらないとなかなか難しい。
っていうことに気付いたんですよね。
気付いたんですけど、それによって勉強して、この人はこういう原因で体調が崩れてるからこれをこうすれば良くなるっていうのが知識として身に付いたんですよ。
勉強して。
正しい方向というか、ある程度ですよ、全部治せるっていうわけじゃないですけどある程度、こういう人だったらこうしたほうが良くなるなっていうのはスキルとして身に付いたんですね。
身に付いたんですよ。
いまはね、その次のステップになってて。
ここがいまの僕の課題なんですけど、この人はこうすれば良くなるっていうのは分かったけどそれをねほんとにその人に分かりやすく伝えて、分かりやすく伝えて、伝わった上で実践してもらわなきゃいけないんですよ。
やり方を知ってるだけじゃ変わりません。
当然。だから僕はやり方は分かった、とします。
やり方が分かったら、今度は分かりやすく伝えるっていう技術が必要なんですよ。
ああなるほどね!私の体こうなってるのね!ってこう分かりやすく伝えるってことが大事、伝えて自覚してもらうってことが大事で。
自覚してもらうためにはやっぱ言葉の説明だけじゃなくてちゃんとこっちで体を触ってあげてガイドしてあげたり、本人に体を使ってもらって、ああいま自分てこういう状態なんだなっていうのを感覚で理解するというか、感覚でちゃんと納得しないと、理屈だけではなかなか伝わらないなっていうのがあるので。
だから僕のセミナーとかワークショップっていうのは結構実技というか、体を使うことが結構メインになってるんですが、ちゃんと正確なやり方が分かったら今度は伝えて感じてもらう。
伝えて感じてもらってああなるほど私の体はこうした方が良くなるんだっていうステップまでもなかなか最近クリアできてきたかなっていう自覚はあるんですけど次のステップが一番難しいんですね。
ちゃんとした方法論が分かって、相手に分かりやすく伝わって納得してもらったら、それを続けてもらわなきゃならない。
実際行動して続けてもらわなきゃいけないんですよ。
これが一番難しい。
これはいまの僕のテーマでもありますね。
僕はいま、それをテーマにしてセミナーとか授業をやっています。
もちろん日々のお客様の施術も。
自分で言うのもなんですけどある程度この人はこういうことをやった方がいいなっていう方法論は探すことが出来るようになってきたし、あなたはここがこうですよっていうのをちゃんと伝えて感じることも出来るようになってきました。
だけどそれをね実際行動して続けて本当に変化を起こすっていう、このモチベーションを引き出すっていうことがちょっと僕のまだテーマかなっていう感じがするんですね。
だからそのためにいまちょっと心理学的なこととか勉強しておりますね。
いくら正しい方法を知っててやった方がいいなって分かってても、やっぱ人っていうのはなかなかそれで実践続けられるほど自分に厳しくないです。
僕も含めて。
そうなのでこういう脳内物質とかあと潜在意識とかそういう勉強もしております。
ということで僕は、自己紹介結構いろいろ込み入ったこともしましたけど、まあ3割ぐらいですね。
あれで。
出したのは。
もっといろいろいろんなことあったんですけど、いろいろ体のことで経験してきてそれで気付いたことを少しでも多くの人に伝えて。
僕は姿勢をきれいにしたり呼吸を深くしたりとか肩こりや腰痛が楽になったりとか、そういうのは手段にしか過ぎないと思ってるんですね。
手段。
分かりますかね?
腰痛が楽になるとか肩こりが楽になるとか冷え性が楽になるとか体が良くなるっていうのは手段だと思ってるんですよ。
きっかけ。
なんのための手段かっていうと、自分が幸せになるためですよ。
結局人っていうのは幸せを感じたいわけで。
だからその、あー幸せだなって思ってもらうために例えば腰痛とか肩こりは無い方が感じやすいと思うんですね。
体の調子がいいほうが、どっちかと言ったら幸せは感じやすいと思うんですよ。
ただそれだけのことで、だから別に幸せを感じられるんであれば手段はいくらでもありますよね。
おいしいもの食べた時でも幸せだし。
だけどその、ほんとの幸せってなんだろうなって考えたときに、やっぱりね、人に依存して良くしてもらうっていうことじゃなくてほんとに自分で自分を見つめ直して、自分と向き合って、それで自分のテーマを克服してっていうのが僕はほんとの幸せだと思っているんですよ。
だからそういう意味では僕はゴッドハンドの整体師でもないですけどいまも、そこまですごい腕は持ってないですけど、もしそうだとしてもゴッドハンドの整体師で終わりたくないんです。
なんのためにこの仕事をしてるかっていうとやっぱり、多くの人に幸せに、あー幸せだなとか、自分のことをほんとに好きになってもらったりとか、自分のことを本当に受け入れられるようになったら周りの人のことも受け入れられるようになって人間関係もすごく円滑になったりしますし、すごく人生がねいきいき、楽しくなるというか、生き甲斐のある人生になると思うんですね。
ほんとの意味であー幸せだなとか自分のことほんとに好きになったりするっていうのはやっぱり、問題から目を背けるっていうことはねそれを遠ざけると思うんですね。
人って、ほんとはこうした方がいいのになっていうのはみんな分かってるんですよ。
心の奥では。
ほんとはこうした方がいいのになって心の奥で分かってることを、でもそれが出来ない。
やりたくない。
っていうことで理屈で封印しちゃうんですね。
やらなくてもいい理由を作り出しちゃうんですよ。
頭で考えて。
ほんとはこうした方がいいの分かってるのに、でも私はこうだからとか、やらなくていい理由をいくらでも作り出しちゃうんですね。
大人になると特に。
僕もそうだけど。
だけど人ってほんとはこうした方がいいなってのがちゃんとほんとはみんな分かってて、それっていうのはやっぱり、自分の体にできた、慢性的にできた不快な症状っていうのをやっぱり自分の生活を見直して根本的に良くしてった方がいいよなっていうのはたぶんみんな分かってるんですよ。
ほんとは。
心の奥では。
分かってるけど、それがなかなか出来ないからじゃあ楽に、この痛みとか不快感が取れる方法はないかって考えて、誰かに治してもらうことだけを考えたりとか、なにかモノに頼ることだけを考えたりとか、そういう風になっちゃってると思うんですね、僕は。
だからさっきも話したようにきっかけとしてはいいと思うんです。
ほんとに辛い症状を軽減させてあげるきっかけとしてはいいと思うんですね。
自分でどうしようもないことを助けてもらうことは僕は重要だと思ってます。
だけど、ほんとに自分を信頼できるというか、ほんとに自分に自信が持てて自分のことを好きになるためには、結局やっぱ最後は自分に降り掛かったテーマっていうのは自分の力で改善していくことに、僕はほんとの喜びがあると思ってるんですよ。
そうやって自分がやってきた行動の結果こう変わったっていうのがすごく喜びにつながると思うので、僕はそういう状態まで持っていきたい
なっていう風に思ってます。
理想的には。
だから最終的にはセルフケアをちゃんとしましょうっていうところに力を入れていまして。
別に健康になりたくない人はならなくていいと思うんですよ(笑)。
やっぱ生き甲斐っていうのは人それぞれ違うので、自分はジャンクフード食べていっぱい食べて運動なんて面倒くさくてやらなくて、それでいいんだっていう人はいいと思うんですけど、でも心の奥で今の自分をちゃんと立て直したい、もっと自分に向き合って自分を大切にしたいと思ってる人がいるんだったら、その人の気持ちをちょっと掘り起こすようなことをして、ほんとに自分がこうなりたいっていうのをちゃんとそれに向き合ってもらって、それが自分の体を整えることであれば、それのお手伝いがしたいなという風に思ってます。
そういう風な価値観で仕事をしていますね、いまは。
うわーもう1時間20分も話してしまいましたが、なんかみなさんないですか?
質問とか。
質問するような内容じゃなかったですかね、今日ね。
もしtwitterと一緒にやっている人がいればこの横の画面でつぶやいていただければ見れるんですけど。
特にないですかね?
まあまあそんな感じでですね、良かったです。
結果的には。
あの、アトピーに生まれて。
しかも結構重症なアトピーに生まれて。
良かったです。
そうじゃないとね気付けなかったことというのがあるので、どんなに話を、人の話を聞いたり頭で考えたことでも経験したことには勝てないと思うので、そういう意味では僕はすごく貴重な経験ができたなあと思ってますね。
こうやって話をさせていただいた上で、すごく初心を振り返るきっかけにもなりましたし、まさか途中で泣いちゃうとは思わなかったんですけど(笑)。
やっぱ僕、学院長ってのは僕にとっては人生のキーマンですね。
本人は覚えてないかもしれないですけど。
だからそう考えたらね、偉そうに言える立場じゃないですけど、みなさんもすごく、やっぱね自分に自信がないっていう人多いと思うんですよ。
すごく自分に自信がないっていう人多いと思うんですけど、何が満たされてないかっていうと自己重要感っていうんですか?自己重要感。
自分のこと、自分を重要に思う気持ちが結構根本的に不足してるというか。
だからね、人がどういうときに自己重要感を感じるかっていうと、僕は人に必要とされてるときだと思うんですね。
だから僕はなんで人は生きるのか?なんのために生きてるかっていうと、人に必要にされる。
それはなんて言うんですかね、もっと違う言い方すると人の役に立つために生きてると思うんですね。
そうやってみんなが人のためになるようなことを、自分の得意なことでね、別にそれはお金が発生することじゃなくても。
例えば見知らぬ人に笑顔を振りまくとかも人のためになるじゃないですか。
小さいことを言えば。
だからこうやって周りの人の役に立つってことをみんなが意識して生きていれば自然にいい世の中になるのかなあと思うんですけど、そういうのがねやっぱ圧倒的に不足してると思うんですよね。
僕もそうです。
学校に面接に行ったときも、自分なんてなんの価値もなくて自分なんかが人の役に立てるわけがないと思っていたんですよ。
人の役に立つどころかもう、いい歳して親のスネかじりっぱなしで、親に経済的な負担ばっかりかけて、自分は社会になんの貢献もしていないっていう最悪な状態だったんですけど、そのときに、その、あなたみたいな人が必要なんですよって言ってくれた一言が僕の人生を変えたんで
すね。
ほんとに。
大げさじゃなくて。
また泣きそうですけど。
だからね、人ってほんとに、誰かに必要にされるっていうことがないと頑張れないと思うので、逆に言うと誰かのためにっていうのはすごく頑張れると思うんですね。
だから自分のためにじゃなくても誰かのために頑張る。
でもそれが、誰かのために頑張ることが自分をほんとに犠牲にしてることだと続かないし、自分の身を削るだけだと思うので、ほんとに自分が楽しいことで誰かの役に立つっていうことを続けていくと絶対みんな幸せになれると思ってます。
そういうことってのはたぶんみんなそれぞれもう持ってる、気付いてるか気付いてないかっていうのはあるかもしれないですけど、ほんとは持ってるんですよ。
みんな自分はこれが得意でほんとに自分が得意なことをやることで人を幸せにするとか人の役に立てることってのはみんなそれぞれ持ってることだと思うので、僕は5年前に自分がそんなの持ってるなんて思えなかったけど、まさかの幼少期から苦しまされてきたアトピーが僕のそのきっかけだったんですよ。
僕にとってのプレゼントだったんですよ。
僕が人様の役に立つために必要な経験として与えられたものが重症のアトピーだったんですね。
だからね、ピンチはチャンスとかそういう安っぽいことは言いたくないですけど、ほんとにいま自分が苦しんでいることとかが、もしかしたら人の役に立つために必要な経験だったりするかもしれないし、もっと言うと、もっと言うと、まあいいや(笑)。
だからね、自己重要感を満たすっていうのはとっても大事だと思いますね。
だから周りの人の自己重要感を満たしてあげるような接し方をする。
あなたは私にとって必要なんですよ、世の中のためにとかそんなおっきいことを言わなくてもあなたは私のために必要なんだってことを伝えていくことで、周りの人がすごく生き甲斐をもって生きていくことが出来るんです。
ほんとに一人の一言が人生を変えることだってあるわけですから。
僕を見て分かると思いますけど。
それもそうだし、あとはやっぱり自分自身に自己重要感をしっかり持つことも基本として大事なんですね。
だから例えばダイエットで言うと、なんかダイエットサプリとかを買って日常生活を変えないでダイエットサプリを買ってそれで安易に痩せようとすることが本当に自己重要感を高めることにつながるかって考えてほしいんですよ。
高まらないと思うんですね。
やっぱり自分で自分のテーマに向き合ってそれをちょっと苦しいかもしれないけど、それと向き合って、ほんとに自分で克服して変わったっていうときに、ほんとに自分の存在がすごくかわいくなるというか、愛しくなる。
ほんとの意味で自分がほんとに大事な存在だって思えると思うんですね。
だから僕は仕事でそういうお手伝いがしたいなと。
自己重要感、ほんとの意味での自己重要感を高める。
そのためにはね、やっぱ自分とちゃんと向き合う、誰かに治してもらうんじゃなくて自分で向き合って変わるっていうのがとっても大事だと思っているんで、そういう想いで仕事をしてます。
Sさん、ありがとうございます。
ありがとうございます。
整体師になりたくなりました。
なりましょう!
はははは(笑)。
なりましょう。
ちなみにうちの学校はおすすめです。
なぜなら、僕がいるから(笑)。
すいません、調子に乗りました。
整体師、まあ整体師じゃなくても今やってる仕事で十分自分や周りの人の自己重要感を高めるってことは可能だと思うので、そのために自
分がなにができるかっていうのを考えてたら、考えてそれを実践に移していけば、ほんとに何より自分自身が結果的に満たされると思います。
何より自分自身が満たされると思うので、だから、自分や周りの人のほんとの自己重要感を高めるためになにができるかなっていうのをちょっと考えてみてですね、それで、偉そうにすいません、ほんとに。
考えてみて、それでひとつでも実行してみて下さい。
90分も喋っちゃいましたけど。
僕ね、学校の授業が90分一コマなんですね。
だから90分喋るっていうのが僕の中に、潜在意識に備わっているのかもしれないですね。
ということで、まああとね、ちょっと興味のある方は僕のブログも読んでいただいたり、twitterされている方はほんとに仲良くして下さい、これか
ら、よろしかったら。
また、自己紹介はこれくらいにして、想いは十分語ったので、今度からは具体的にじゃあ体を整えていくためにはこうした方がいいよみた
いな方法論とかそういうことも無料配信でもできればいいと思ってますし、あと過去のUSTREAMのなんていうんですかね?
データにも残ってますので、ダイエット講座とか。
良かったらご覧になってみて下さい。
はい、じゃあそろそろ締めたいと思います。
はい、今日は8人の方いまご覧になっていただいてますけど、90分という長い時間どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ放送を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
*******************
長っ!
ちなみに最後の方に出てくる「Sさん」
生配信中にコメントをいただいて、
絡ませてもらったと思うのですが。
今でも定期的に、
うちの店にメンテナンスに通っていただいています。
いやぁ、本当にありがたいご縁だなと思います。
そして、自分でこれを読み返した上で、
10年前の自分に、言いたいこと。
「わかったから、ちょっと肩の力抜けよ」
まぁでもあの頃はそのテンションでよかったのかもしれませんね。
伝えたくて伝えたくて、しょうがなかったんですよね。
本業で整体スクール講師をやりながら、
副業で個人的にセミナー開催もしながら、
このブログを書きながら、
頻繁に動画配信までしていたんですからね。
あの頃の膨大なアウトプットがあったから、
今の自分がいるのかもしれません。
ありがとう、10年前の自分。
そして、
3万字の文字起こしをしていただいた、
お会いしたこともないアナタ。
10年越しのお礼になってしまいますが、
改めて、ありがとうございました。
そして、
もし3万字すべて読んでいただいた方がいたら、
ありがとうございます。
ではでは。
**********
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「強みを活かし好きなお客に来てもらうための整体師向けブログ発信術」
<セミナー情報(沖縄)>
◆2019/02/22(金)小野サイさんお話し会
「ことばで伝え合うコト」
※満席⇒キャンセル待ち
◆2019/03/24(日)&5/19(日)沖縄1日セミナー
女性ホルモンを調えるココロとカラダのケア
3/24(日)満席⇒キャンセル待ち
5/19(日)受付中
<セミナー情報(沖縄県外)>
◆2019/04/24(水)25(木)東京個人セッション
※満席⇒キャンセル待ち
◆2019/04/26(金)第21回東京こころとからだ塾
「女性ホルモンを調えるココロとカラダのケア」
※満席⇒キャンセル待ち
◆2019/05/25(土)福岡個人セッション
※満席⇒キャンセル待ち
◆2019/05/26(日)第19回福岡こころとからだ塾
「女性ホルモンを調えるココロとカラダのケア」
※受付中(残席6)
~元氣サポートルームkokokara~
〒901-2424
沖縄県中頭郡中城村南上原750
カサグランデ21-101号室
水曜・日曜定休 その他不定休
TEL/FAX:098-943-1903
※施術中は電話に出られません。
また、出張などで留守にしていることも多いので、
なるべく下記のメール等でお問合せをいただけると助かります。
メール:info@kokoro-to-karada.jp
facebook(メッセンジャー):「照喜名弘彦」
LINE ID : terukinakokokara
店のfacebookページに、
「こころとからだ 過去記事アーカイブ」
という投稿をしはじめたんです。
過去にこのブログに投稿してきた記事の中で、
僕自身の思い入れが強い投稿を、
リンクを貼ってご紹介しています。
現時点で、まだ5記事しか投稿していないのですけどね。
その流れで、
このブログの過去記事を、
さらっと読み返していたのです。
すると!
すごい記事を見つけてしまいました。
僕ですね、
10年前くらいに、
動画で自己紹介をしたのですよ。
当時USTREAMという動画配信サイトがあって、
生配信ができて、録画もできたんですね。
僕はそのUSTREAMを使って、
よく生放送を配信していました。
その中で、自己紹介もしたのですけど。
なんと、90分も喋ったんです。
90分自己紹介で語るって、すごくないですか(笑)
今の僕にはできないかも。。。
あの頃は、
今の僕にはなくなってしまった熱量があったんですね。
良くも悪くも、ですけど(笑)
が、そのUSTREAMが(たぶん)なくなっちゃって。
その90分動画も、ネット上から姿を消したのですが。
が!
なんとその90分自己紹介動画を、
すべて文字起こしをしてくれた方がいたのですよ!
90分の話をそのまま全文、文字起こし。
文字数にすると、約3万字。
3万字って、原稿用紙75枚分ですよ。
それを、すべて文字起こししてくれたのです。
もう、感動ですよね。
とっても感動したと思います。
思いますっていうのは、忘れてたんです。
文字起こししてもらってたことを。
すみません。
が!
過去記事を漁っているときに、
見つけてしまったのです。
文字起こししてもらったものを、貼っている記事を。
すごいの見つけちゃった、と、1人で興奮。
これはもう、ちょっと恥ずかしいけど、
改めて最新記事で貼ろうと。
そういうことになりました。
10年前に喋っていることなので、
ちょっと今とは感覚が違っているところもありますが。
でも、最後の締めで話している内容は、
今と全く同じなのです。
今の僕が思っていることと、
同じことを言っている。
すごいな、10年前の自分。
10年間、
根底に同じ想いを持ち続けて仕事をしてきたことに、
我ながら少し誇らしくなりました(笑)
当時は整体スクールの講師が本業で、
副業的に個人での活動もしていましたが、
今のように完全に独立した形ではありませんでした。
途中で
「独立する気はない」
などとほざいていますが、
気が変わることもあるということで(笑)
でも、根底で大切にしていることは、
10年前から変わっていないですね。
ちょっと自分を見直しました(笑)
ということで、前フリが長くなりましたが。
「細かすぎる自己紹介と仕事への想い」
というテーマで90分喋った内容を、
約3万字の文字起こしによって再現された文章。
一部個人情報などが出ている部分は編集しましたが、
それ以外は編集していません。
喋っている言葉をそのまま文字にしてあるので、
文章としては読みづらいかもしれませんが。
もしご興味があれば、
10年前の僕が熱く語った内容を、
読んでみてください。
ただ、めちゃ長いので(笑)
気が向いたら、よろしくお願いします。
****************
「細かすぎる自己紹介と仕事への想い」
はじめさせていただきます。
はい、よろしくおねがいしまーす。
こういうのも緊張しますね、なんか。
慣れてないので。
うーん。はい。
えー、自宅からUSTREAMを中継させていただくのは初めてなんですが、
僕のまず自己紹介から。
今日のテーマが「細かすぎる自己紹介と仕事への想い」
っていう細かすぎるっていうのはどこまで細かくしゃべるかどうかっていうのは僕の気分次第なんですが、僕は整体師、スポーツトレーナーとして仕事をしてまして、その上で、うーん、どういう想いでこの整体とかスポーツトレーナーっていうお客様の美容とか健康の増進に、あとアスリートのパフォーマンスアップとかそういうのも入ってくるんですが、どういう想いでそういう仕事をしているのかっていうことをちょっとお話させていただきたいと思うんですね。
いままでダイエット講座とかそういう講座はUSTREAMで生中継配信したことはあるんですが、その時と今日のこの自宅配信の違いは、
目の前に人がいないっていうことなんですね(笑)。
だからいまもウェブカメラに向かってカメラ目線で一生懸命語りかけているんですけど、それはそのカメラの向こうにいるあなたに!
あなたに話しかけられていると思って聞いていただければありがたいです。
はい、いま4人の方が見ていただいてるんですが、よろしくお願いします。
自己紹介、現状の活動からお話しさせていただくと、本業として整体の専門学校で勤務しております。
整体、あとはスポーツトレーナー科というところの主任講師をさせていただいてまして、それ以外、その本業、学校業務以外のところで、
個人的にお客様の施術、コンディショニングをしたり、あとは沖縄県内、県外でセミナー活動をさせていただいております、という状況ですね。
良かったらブログなどをご覧頂ければ、どういう活動をしているかというのが分かると思うのでご覧下さい。
それで、あの、僕がこの業界で働こうと思ったきっかけ。
思ったきっかけというか、思ったきっかけもそうなんですけど、働くことになったきっかけも含めて。
僕はもともとこの整体とかスポーツトレーナーになろうってずっと最初から決めてたわけではないんですね。
決めてたわけではなくて、言い方悪いですけど成り行きでそうなったっていう感じなんですよ。
成り行き。
うーん。
ただ、あの、これは昔っからすごく自分の体のことですごく悩みを抱えているというか、持病がありまして、それですごく健康とかそういうことに
関しては、まあ苦しんできた方だと思うんですね。
まあ、比べる、人と比べるのもおかしい話ですけど、まあちょっと大変な思いをしてきたので、幼少期から。
自然とですね、そういう自分の経験を元に、人様のそういう体のことで苦しんでいるとか、そういう方になにか手助けをする仕事をしたいなっていうのは漠然とありました。
漠然と。
それで、高校生、中学生高校生ぐらいの時は医者になりたいと思ってたんですよ。
お医者さん。
僕は、まあ、持病っていうのはアトピー性皮膚炎なんですけど、結構な重症だったんですね。
今からお話しさせていただきますけど。
結構な重傷ですごく苦しんできたので、自分が医者になって、その同じようにアトピーで苦しんでいる人の手助けになりたい、手助けになりたい、まあ力になりたいっていう風に考えるようになりまして、中学高校とそういう考えだったんですが、うーん、勉強が嫌いで、勉強が(笑)。
勉強が嫌いで高校も一応沖縄県内では進学校って言われるような学校に入れたんですけども、勉強がもうとにかく面白くなくてですね、成績が良くなかったんですね、正直。
それでもう医学部なんてとても無理っていう状況だったので、どうしようかなと思って。
その当時の僕にはそれを乗り越えるだけの信念がなかったんですよ。
勉強は嫌いだけどでも、絶対お医者さんになって困ってる人を助けるんだっていうそこの信念がなくて、医学部はまあいいやってなっちゃったんですね。
この高校生のときに。
でも、どうしてもその健康産業というか、何らかの形で人様の健康にたずさわるような仕事をしたいということで、進学校なんで一応周りの環境もそうなんですけど、大学に行くっていうのが大前提のような状況になってまして、自分も大学に行かなきゃいけないんだっていうのが自然の流れになってたんですね。
でも、さっきも言ったように僕は勉強が嫌いで、大学に行ってまで深めたい学問というのが僕の高校生のときになかったんですよ。
数学も物理もなんだ、英語も国語も社会科も大学に行ってまでより深めて勉強したいかって言われたらNOだったんですね。
でも大学行かなきゃいけないっていう空気だし、僕も大学行く以外の選択肢はなかったんですよ。
その、進学校という環境もあったかもしれないんですけど、大学に行かないっていう選択肢がなくて、その当時は。
だけど大学に行かなきゃいけないと。
どうしようかなって思ったときに、あー自分はスポーツが好きだからスポーツに関係することだったら楽しく勉強できるんじゃないかなと思って体育学部に行こうと思ったんですね。
将来体育の先生になりたいとかそういう強い思いもなく、ただ大学に行ってまで学びを深められるものは僕にはスポーツしかないなと。
学校の教科で言うと体育しかないなと思って体育学部を受験しようと思いました。
はい。
体育といっても沖縄には体育学部というのがないんですね、大学の。
今はできましたけど。
当時はなくて、琉球大学っていう国立大学の教育学部の保健体育科養成課程みたいな。
保健体育の先生になるための養成課程っていうのがあったので、それを受けようかなと思って勉強してたんですけど。
実はね、ちょっと体育学部の最高峰みたいな形で筑波大学っていうのがありまして。
茨城県に。
筑波大学体育専門学群というんですけど、あーここに入れたらいいなっていうのもちょっとあったんですね。
センター試験を受けたら、なんとその筑波大学体育専門学群に受かりそうな点数が奇跡で取れてしまいまして。
本当に奇跡だったんですよ。
僕はそれまでずーっと模試を繰り返していても7割ぐらいしか取れてなかったんですね。
トータルで。
センター試験の。
7割じゃなかなか厳しいっていうことなんですけど、本番でね8割越えちゃったんですよ。
85%ぐらい点数が取れてしまって。
何かの間違いで(笑)。
マークシートだから間違いが起こっちゃうんですよ、やっぱりそういう、奇跡的な。
そのマークシートのセンター試験で奇跡が起こってしまいまして、あーこら筑波大行ける!ということで受験したらなんか受かっちゃいましてね。
それで筑波大学体育専門学群というところに進学しました。
ここまでは順調ですよ。
なんか。
なんだかんだありつつ、病気とかもあり苦しみつつも、まあこんな言い方したらあれですけど一般的にはまあそこそこ。そこそこって言ったら失礼ですね。
まあ、有名ないい大学の体育学部に入れたと。
ここからが大変だったんですよ。
実は。
でね、結論から言うと僕はその筑波大学体育専門学群を中退しております。
残念(笑)。
残念ながら中退しております。
はい。
なんで中退に至ったかということなんですが、うーん、まあ、いろいろ理由はあります。
とにかくまずは、まあ、一つとしては沖縄から県外に移住して、初めて親元から離れて生活して、僕はねえ、今でもそうなんですけど自分に甘いんですよ、とっても。
自分に甘くて、もう親元を離れた生活でもう悪い意味で自由奔放になりすぎてしまいましてですね、学校に行かなくなっちゃったんですね。
うーん。
その悪い意味で自由奔放になったというのもそうなんですけどもうひとつとしては、体調をものすごく崩しました。
一人暮らしを始めてから。
原因はいろいろあると思います。
もう単純に生活のリズムがめちゃくちゃになったとか、一人暮らしで。
あとは食生活がめちゃくちゃになったとか。
まあいろいろあると思いますけど、体調を崩しましてですね、もうとても学業に専念できるような状態じゃなかったんですよ。
本当に。
自律神経失調症のひどい感じになってしまいまして、最後は。
うん、あのー耳がですね、こっち(左耳をつまんで)、耳が今もこんな感じですけど3倍ぐらいに腫れ上がってるっていう状態が大学を辞める最後の半年近く、ほぼ続いてまして、要は体中がパンパンに腫れて炎症な状態なんですよ。
アトピーどころの話じゃなくて体中が炎症を起こしている状態でもう常に抗生物質を飲まないと抑えられないっていう状態なんですね。
抗生物質を一日でも飲まないとぱーっと全身、顔も本当にパンパンにむくれ、むくむっていうか腫れ上がってくる状態。
真っ赤で。
常に微熱がある。
37度5分とか。
そういう状態が5、6ヶ月続きまして。
もちろんアトピーもぐちゃぐちゃです。
あのステロイドって聞いたことがあると思いますけど、その湿疹を抑える塗り薬を使ってたんですけど、ステロイドも最強ランクまでいきまして、これ以上強い塗り薬のステロイドはないっていう最強ランクのステロイドを毎日べたべたに塗って、それでも抑えられないっていう状況でした。
もう体中がぐちゃぐちゃで傷口から汁が出てっていう状態が全身に続いて。
薬でも抑えられない。
そのアトピープラス自律神経失調症みたいな感じで全身が炎症を起こして抗生物質も飲み続けてっていう状態が半年ぐらい続いて、当然学校は行けません。
そんな状態じゃ。
まあ行ける人は行けるのかもしれないですけど僕のそのときの精神状態じゃとても行けない状態で、もうこれは死ぬかもしれないと思ったん
です(笑)。
笑い事じゃないんですけど。
このままこんな強い薬を毎日使い続けてそれでも体がおさまらない。
学校行けないなら仕事なんてなおさら出来ないわけで。
いや、死ぬなって思ったんですよ。
本気で。
うーん、だから、もうこれは学校を辞めてどうにかするしかない。
っていうことで、どうにかしたんですけど。
っていう流れです。
そして、まあ実家に帰って来まして。
大学を辞めて。
それで約2年ぐらい体調を整えるための期間がありました。
その2年ぐらいの期間は仕事もしてません。
もう家にずっと引きこもってました。
はい。
何をしたかっていうとですね、家に帰って。
僕はね、薬を一気に止めたんですよ。
スパッと。
はい。
これはね、いまとなってみればすごく危険なことで、危険なことなのは分かるんですね。
でも僕はそれまで使ってた強い薬を実家に帰るとともに一気にスパッと止めました。
知識はそんなになかったんですけど、もうなんとなく分かってたんですよ。
もう薬をずっと使い続けている限り僕のこの体は本当に、本当の意味で回復してくれないと。
うん。
だけど、親元を離れて一人で生活する上で薬を止めてそれでいままで抑えていた症状が全部出てくると、とてももう学校に行くとか仕事に行くどころか日常生活もままならない状態になるのも分かってたんですね。
だって、強い薬で抑えて抑えてやっと日常生活ががんばって出来るかなっていうぐらいだったので、それを止めてしまえば本当に家から出られないっていう状態になるのは分かってたので、一人暮らしのときはもうどうしようもなく強い薬をずっと使ってました。
でも実家に帰れば親に甘えられる環境が幸いにもあったので、もうここはとにかくちょっと悔しいけど、申し訳ないけど親に甘えようっていうことで薬を一気に止めました。
そしたらですね、すーごいことになりまして。
本当に大げさじゃなくて最初の半年は寝たきりでした。
寝たきり。
もう動けないですね。
なんとか食事とあとトイレとお風呂っていうこの3つはなんとかやったんですね。
もう歯を食いしばって。
泣きながら。
だけど食事を食べる、トイレに行く、あとお風呂に入る以外はずーーーっと寝てました。
半年間。
半年間。
僕はいま体重が73キロぐらいなんですけど、その当時、寝たきりの当時は一番落ちたところで54、5キロまで落ちました。
今よりだから20キロ近く体重が落ちて、本当に骨と皮だけみたいな感じになってですね、どういう状態かというと全身の皮膚がないっていうか、全身がかぶれて傷でじゅくじゅくと浸出液が出ている状態なんです。
常に。
血が出て固まってるとか、汁が出て固まってるっていう状態ではなくて、もう常に出続けている状態なんですね。
びちゃびちゃびちゃって。
だからね、あの、その当時敷き布団を使ってたんですけど、敷き布団も一晩寝るとシーツだけじゃなくて布団全体がびっちゃびちゃになるんですよ。
液で。
信じられます?
はははは、信じられます?
信じられます?これ。
ほんとに、それぐらい体から浸出液がじゅぶじゅぶじゅぶじゅぶ全身から出て、今でもインパクトが強かったので覚えてるんですけど、寝てて動けないわけなんですけど、寝てるしかないんですよ。
本を読んだり携帯を触ったりとか、そんな元気もない。
そんな気力もなくて、もうただ横になって呼吸をしてるだけ。
その最初の半年はね、将来の不安とかそういうのも感じる余裕もなかったですね。
もう必死で。
必死でっていうか、そこで呼吸をしてて寝てるだけで精一杯。
だからね、人ってほんとに大変なときって悩む余裕ないですよ。
これ僕は経験上。
ほんとに大変なときは悩んでるとか、そういう暇はないです。
そういう状態だったんです、僕。
半年ぐらい。
だから僕はこのままの体で将来どうなるんだろうとかそういうことを考える気力さえもなくて、もうただ横たわって呼吸をしてるだけっていう状態だったんですけど。
そのときね、覚えてるのが、そうやって寝てて頭から汁がね、ドクンドクンドクンドクンドクンドクンって出て行ったんですよ。
いきなり。
引っ掻いたわけじゃないですよ。
こう引っ掻いたわけじゃなくて、ぼーってこう普通に寝てたら突然なんか頭の方から汁がね、だだだだだって枕カバーとか枕も変え
たばっかりなのに枕がビチョビチョになるぐらい液が出てとか。
あと、ある日は膝の上のほうにお茶碗大の膿ができたりとか。
またこれも(笑)
あの、大げさだって思うかもしれないですけどほんとなんです。
本当にお茶碗くらいの大きさの膿が出来て。
朝起きたら。
その膿っていうのが大変だったとかね。
そういう状態で、それは僕の解釈なんですけどそのときっていうのはもう今までそれまで溜め込んできた体の中に、薬でずっと抑え続けてきた僕の体にとっては老廃物っていうんですか、老廃物っていうのをその薬で上から抑えてた、その抑えが取れた状態を作ったわけなんで、その抑えが取れたときに今チャンスだってことでどんどんどんどん出て行ったんだろうなと思います。
当然ね、すごく危険なやり方です。
これでねあまりにも免疫力が落ちてひどい感染症とかになったり、ほんとに内臓疾患とかで命の危険が及んだりする可能性もあると思うので、強い薬を急に止めたりすると。
だからこれは僕は人にはお勧めできません。
自分がやっておいてなんですけど。
ほんとにね、まいりましたね。
半年かけて全身からどんどん血が出て液が出て、体重も20キロ痩せて骨と皮の状態になってってやってると、半年ぐらいするとねやっぱりある程度落ち着いてくるんですね。
体の中からある程度出しちゃったんでしょうね。
ある程度出してしまって、ちょっと落ち着いてきたんですよ。
皮膚の症状も。
そしたら次のレベルとしては相変わらず寝たきりなんですけどちょっと本とかを読めるようになったんです。
寝ながら本を読む余裕が出てきました。
そのときにいろいろ本を読んでたんですけど、実はですね、そのときに読んでた本というのがすごく今の仕事に役立ってまして、なんかですね、興味の矛先がほんとにいま僕「こころとからだ」っていうブログをやってて、こころとからだについてやってるんです。
仕事もね。
そのこころとからだに関する本ばっかりだったんですよ。
読みたくなる本が。
なんか気晴らしに雑誌を読んだりとか、なんか趣味の本を読んだりとか、そういう気持ちは全く起こらなくて、とにかく今のこの仕事に生きるような内容の本だけにしか興味がなくて。
読みあさってました。
その時期に、すごく。
っていうか寝たきりだからそれしかやることがないから。
そのときはなんの意識もなくただ読みたいから読んでただけなんですけど、今となってみれば、すごい財産を得たなあの時に、って思いましたね。
なんて言うんですかね、体がきついから必要以上に考え事が出来ないんですよ。
必要以上に考え事が出来ないってのがすごく僕はいい風に働いたと思っていて。
要はね、本を読むときってなんか書いてあったら自分の考えと照らし合わせてなんか分析をしたりするじゃないですか。
どうしても。
面白いとか面白くないとか。
これは正しいとか間違えてるとか。
でもそのときの僕はそういうことをやる余裕がないので、もうとにかく読んで、考えられなくて。
感じることしか出来なかったって言うんですかね。
そのまま読んでその文章に書いて感じた印象をそのまま体の中に、自分の体の中に、頭の中にって言うんですかね、取り込むことが出来たので、そういう意味ですごく情報のインプットの時期だったと思うんですね。
だからそれはすごく良かったんですよ。
そうやって寝たきりで何も出来ない状態からちょっと本を読める状態になって、もうちょっと落ち着いてきたら家の中を移動するぐらいだったら出来るようになった。
相変わらずぐちゃぐちゃですよ皮膚は。
ちなみに。
ちなみにその時期は本当に家から一歩も出てなかったんですけど、たまーにこの親戚のおじさんおばさんとか、まあその他知人が家に訪れ
て来たときに僕は出来るだけ顔を合わさないようにしてたんですけど、見られたくないから、そんな姿を。
だけど、ちょっと遭遇しちゃったことがあったんですよ。
遭遇しちゃったことがあったんですよ。
その僕の、ぐちゃぐちゃな姿を。
そしたらそれは親戚のおばちゃんだったんですけど、僕を見た瞬間にすごい顔をしまして。
忘れられないですね、いまでも。
はーーーっていうすごい顔をしまして、その後にね、ぼろぼろ涙を流して泣いたんですよ。
そのおばちゃんが。
僕ねえ、自分の中では一番ひどいときよりも良くなって、家の中でもきついとはいえ動けるようになってちょっと良くなってきたかなっていう矢先にそれだったので、これねえ僕すごく精神的にショックだったんですね。
そのおばちゃんからしたらほんとに優しい、優しいおばさんなのですごく同情してくれたというか、かわいそうだと思って自然に泣いたんだと思うんですけど、僕は、一般の人から見ると僕はそうやって悲鳴を上げそうな顔になって、それで見た瞬間に涙が出てしまうような姿なんだ俺は、と。
それで落ち込みまして、落ち込みまして、また悪くなっちゃったんですよ、アトピーが。
そういうことを繰り返してですね、やっと1年くらい経ってからですね、外に出られるようになったのは。
それでもなんやかんや波がありつつも落ち着いて1年ぐらいでやっと外に出られるっていう勇気が持てるようになって。
とは言ってもまだとても仕事をしようとかそういう状況にはなれなくて、多分体もそうですけど精神的にそうなんですね。
それに大学も中退してるし、ろくな職歴もないし。
バイトの延長みたいなことしかやってこなかったんで。
ろくな職歴もないし、そもそもなに、やりたいこともないし。
大学中退でそういうキャリアもない自分に何が出来るの?
っていうと何も思いつかなかったし。
体が健康だったらそれでもできる仕事を探して一生懸命やるっていう選択肢があったんでしょうけど、うーん、それも出来ないと。
なかなか。
その辺から思い悩み始めました。
悩み始めましたね。
でもね、さっきも言ったように悩めるってことはちょっと元気なんですよ。
これは本当に。
僕はどん底まで味わったので分かるんですけど、悩み始められたってことはちょっと体が元気になってきて余裕ができて、考えるってことが出来るようになってきたってことなんですけど。
今となってみれば。
そのときは苦しかったですよ。
当然。
何しようかなって思ったときに、僕はほんとに小学生のときからアトピーで結構あの周りの友達とか知り合いとかから、すごく優しい友達が多かったんですけど、中にはあの、悪気がなくてすごいひどいことを言ってきたりする人もいたりですね。
それでコンプレックスとして強く持ってたんですよ、アトピーを。
自分はもうアトピーっていうコンプレックスがあってその当時は僕は自分はアトピーじゃない他の人よりも一番劣った存在だと思ってたんですね。
周りの友達見ても。
少なくとも僕の周りの友達には僕ほどアトピーで苦しんでる人はいなかったんですよ。
いなくて、自分で言うのもなんですけど僕ちょっと成績良かったんですね(笑)。
学校の。
学校の成績良くて、まあまあスポーツも出来るほうだったんですね。
自分で言うのもなんですけど。
まあまあスポーツも出来る方で勉強もできるほうだったんですよ。
小学生のある日に僕の同級生で、これも言ったら悪いですけど僕より勉強できなくてスポーツもあんまり出来ないっていう子がいて。
それで人の価値が決まるとか言ってないですよ。
成績も僕よりちょっと悪くてスポーツもあんまりできないっていう子がいて、男の子で。
その子と喋ってるときに衝撃的な一言を言われたんですよ。
僕ひーこーって呼ばれてるんですけど、
「ひーこーはすごく頭も良くてスポーツもできてすごいけど、なんかぶつぶつがいっぱいあって気持ち悪いから俺はひーこーにはなりたくない」
って言われたんですよ。小学校4年生のときに。
これショックじゃないですか?
僕の中のそのアトピーでみんなより劣ってるっていう僕の中の唯一のプライドというか見栄の部分がそういう成績がいいとか、スポーツが出来るほうだとかそういうことで自分は人より勝ってるって思い込みたかったんですよ。
でもそれが否定されて。
コンプレックスとしてずーっと持ってたんですが、それは大学に入っても続いてたわけですよ。
地元の友達は一応進学校なのでほとんどの人は大学に進学して。
一番多いのは琉球大学とか沖縄のその他の私立大学とか行くんですけど、僕は筑波大学っていう大学に進学したっていう話をさっきしましたけど、ちょっとね僕はそのコンプレックスの塊なんで筑波大に行ってる自分というのが唯一の優越感だったんですよ。
醜いですね。
醜いですけど、その当時コンプレックスに包まれて人に勝るものがないと思っていた僕には周りと比べて自分はこれが上だっていう価値観でしか自分の存在を維持できなかったんですよ。
もう今となっては学歴とかそんなのはどうでもいいですけど、そのときはそうだったんですね。
俺は周りの友達に比べたらまあいい大学に行ってると。
どうだすごいだろう、みたいな。
そういう歪んだ優越感でなんとか保ってたんですよ。
自我を。
プライドを。
それが中退ですよ。
はははは。
それが中退して、大学中退してもう一年以上もなんも仕事もしてなくて家に引きこもって。
周りの同級生、ちょっとバカにしてた同級生達はみんな公務員になっちゃったりとかまあそこそこいい企業に就職したりとか。
人生の階段を着実にステップアップしてるわけですね。
どうですかこの状況?
僕は唯一の砦だった学歴も失い、体はボロボロ。
周りの同級生は(笑)。
そういう感じでコンプレックスの塊だったんです、相変わらず。
体はちょっと良くなってきてましたけど。
でね、そのときの僕はすごいことを思いついたんですね。
僕はこのままじゃ悔しいと。
だから、この状況を逆転するには、って考えたんですよ。
周りの同級生は大学卒業して安定した職に就いて、中には結婚しはじめたりね。
この状況を逆転するにはどうしようと思って。
なんだと思いますか?
そこで出した結論。
なんだと思います?
医者になろうと思ったんですよ。
また(笑)。
医者になろうと思ったんですよ。
どうせまだ外に出て仕事もできないし、なにもないんだったら、自分にはなにか資格が必要だなと思ったんです、とにかく。
大学も中退だし、職歴もないし健康な体もないからなんか専門的な資格を持ってそれで勝負できないと多分ね、健康な体がない状態で人並みな仕事をするのは無理だって思ったんでなんか強みを持たないといけない。
資格を取らないといけないってなんとなく思ったんですよ。
最初は英語を勉強して沖縄の基地の中で働こうかなとか、色々考えたんですけど、でもどうしてもね健康産業で働くってのが選択肢から外れなかったんです。
というか、それしかないなっていうのがなんとなく感じてたんですよ。
そうなんでしょうね、たぶん。
そこまでしてもやっぱ自分は健康産業で働きたい。
なんでも良かったっていうか、なにをしていいかは思いつかなかったんですけど、さっきも話した僕はコンプレックスの塊だったのでやっぱ周りの人に一目置かれたかったんですよ。
友達とか同級生とかに。
大学も中退して体ぼろぼろの僕がまた周りから一目置かれるようになるためにはなにをしたらいいかって考えたんですね。
コンプレックスからの考えですよ。
こんなのうまくいかないです。
いますよね、周りにも。
なんか周りに評価されたいからそれをやっているっていうね。
それはうまくいかないし、自分が苦しむだけです。
どんどんどんどん。
そういうことも分かんないで、周りを見返すにはここからまた勉強して医学部に入って医者になろう。
医者になったらみんなにすごいって言われるに違いないと思ってその当時の僕は勉強を始めました。
医学部に行くために。
親にもお願いして、自分のこの体で苦しんだ経験をやっぱり生かして人様の役に立ちたいからもう一度チャンスを下さいと。
一度関東の大学まで行かせてもらってそれを辞めて帰って来た息子がまた大学に行かせてくれとか言ってるわけですよ。
親からしたらね、そんな金の余裕もないかどうか分かんないけどきついじゃないですか、やっぱり。
だけどうちの親は何も言わずにオッケーしてくれたんですね。
いいよお前がやりたいんだったらやればいいよって。
うーん、すごいですよ。
うちの親は。
ちなみに、ちょっと話があっちこっちいって大変ですけど、大学を辞めて帰って来るときも僕は親に反対されると思ったんですね。
そりゃ卒業して帰って来いって言われるだろうなと思ったんですけど、親に話したらすぐね、もうお前が決めたことなんだったらそうしなさいって言って家に帰って来て、健康な体に戻るために家で面倒見てあげるからっていう風に言ってくれて。
うちの親っていうのはとにかくね目先のことだけじゃなくてちゃんと僕のことをすごく信頼してくれて、すごく感謝しているんですけど。
まあ、その話は置いといて。
医者になるってことで勉強をしました。
はじめました。
大学受験のときに使った参考書が手元に残ってたので、
もう一回センター試験の勉強をしはじめました。
そうしてるうちにだんだん体調が良くなってきて、もうね、家で勉強をしているだけだとやっぱりちょっとね、気分転換が出来ないし、ちょっと外にも出て行きたいな、たまには息抜きでって思いはじめて、仲のいい友達には会いはじめていたんですね。
たまに。
それでも包帯ぐるぐる巻きの状態ですよ、顔以外全身。
包帯ぐるぐる巻きの状態なんですけど、外に出るときは。
それでもすごく仲のいい友達には会って食事をしたりしてて、仕事をしてなかったので当然お金もないわけですよ。
それで毎回外に食事に行くときは親から小遣いをもらったりとか。
その当時24才ぐらい。
情けねーなーと思って。
24才で、大学中退で、無職で。
いくら病気とはいえ親から小遣いをもらって。
それはあまりにも情けねえなと思って。
ちょっと自分が気分転換で外に出たりとか自分のやりたいことくらいは自分の小遣いでっていうか自分のお金でやろうと思って、ちょっと息抜きにもなるしバイトしてみようかなっていう気持ちになったんです。
ようやく。
外でバイトしてもいいかなっていうくらい体調が回復してきて、バイトを探し始めました。
結論としては、その探してたバイトで入ったところが今の勤務先の整体の学校なんですよ。
これすごいじゃないですか、なんか。
うん。
医学部の受験をしようと思ってて家に引きこもって勉強をしてて、でもなんか、ちょっと小遣いぐらいは、自分で使う小遣いぐらいは自分で稼ぎたいからちょっと息抜きにバイトをしようと思って探したバイト先が、今の僕が働いている整体の専門学校なんです。
はい。
ちなみにですね、ネットで探してたんですけど、ボーリング場があったんですよ。
僕はやっぱり夜のバイトだとまた体調崩すし生活リズムがおかしくなるので昼間のバイトを探してたんですね。
週2、3回ぐらいできる。
ボーリング場で、近くにあるボーリング場がちょうどその条件で求人してたので、もう電話して面接まで決まったんですよ。
電話して面接決まって、じゃあ俺はボーリング場でバイトしながら医学部に行く勉強をしようという流れだと思ってたんですね。
たまたまもう1コ次のページをクリックして開いてみたら今の勤務先の整体の専門学校が出てたんですね。
求人が。
整体?なに?整体?
そのとき僕、整体っていうことを全然知らないで、なんかテレビとかのイメージで骨をポキポキ鳴らす人達かなーぐらいなイメージしかなかったんですよ、整体。
なんかあやしい、みたいな。
ほんとです。
整体は骨をポキポキ鳴らすあやしい人だと思ってたんですね。
整体専門学校の講師補助を募集しますみたいな求人が出てて。
でも、将来医者になるんだったらボーリング場でバイトするよりは整体みたいなあやしいことだろうが、一応人の体に関係することだからボー
リング場よりは得るものがあるだろうと思って。
その整体学校に履歴書を送ったんですね。
履歴書を送りました。
面接が決まりました。
その最初に面接をしてくれたのが今の学院長、ボスなんですけど、その当時まだ結構アトピーひどかったんですよ。
まだまだ。
外に出ようという気になったとはいえもう一般の人から見たら十分うわーアトピー大変だねっていう状態でした。
その状態で行って。
僕はね、面接落ちるだろうなって思ったんですよ。
整体の学校。
なんでかっていうと、やっぱ体に関係する仕事じゃないですか。
その体に関係する仕事をやる上でこんなアトピーひどくていかにも病気ですっていう人がやっぱり人の体に関わる仕事をするっていうのはちょっと無理なんじゃないかなって思ってたんですよ。
そのときの僕はね。
大学を中退したこととかアトピーでこういうこととかも全部正直に話して。
面接のときに。
それでだめだったらしょうがないなと思って行ったら、そのときのうちの学長がですね、
「いやー、あの、この業界は照喜名さんみたいな人こそ必要なんですよ。」
って言ってくれたんです。
はい。
あの、体のことで何の苦労もしてこなかった人よりも照喜名さんみたいに自分の体のことでいっぱい悩んできた人こそがこういう整体の業界には必要なんですよって言ってくれて。
僕ねえ、その場で泣いちゃったんです。
いまもちょっと泣きそうですけど。
その場で泣いちゃって。
なんで嬉しかったかって言うと、あのー、自分はどこに、なんて言うんですかね、自分を必要としてくれる人はいないと思ってたんで。もう、そのときはもう自分は何の価値もない人間だと思ってたので。
なんの価値もない人間だけど、って思ってたので、そこであなたみたいな人こそ必要なんですよって言ってくれて、嬉しかったんですね。
すごく。はい。
でもなにもないですよ。
整体のスキルは。
一応体育学部で勉強してきて基本的な解剖生理学は知ってるとか、ちょっとマッサージは出来るとかその程度で。
だけどまあ講師の補助として授業の補助としてやってくれればいいからみたいなかんじで週3ぐらいではじめたんですね。
まだそのときは学校も開校したてで生徒数も総数で20人もいなかったかな。
20人もいなかったぐらいで、授業もすごく少なくてですね、結構空いた時間があったので僕はその空いた時間に講師としてその学長以外に
2人の女性講師がいたんですけど、2人の女性講師に教わってたんです。
実は。
バイトとして入って、整体の専門的なスキルっていうのがなにもないので、空いた時間に整体の講師から僕は教わってました。
ゼロから手技を。
今考えたらすごくラッキーな話なんですよ。
本来だったら専門学校に入学してお金を払って身につける技術を、僕は講師補助っていう一応アルバイトの立場なんですけど、アル
バイトとして入ってそこで教えてくれたんですね。
あのー、ちょとねえ、乱暴な話というか、まあ現実なんで話しますけど、整体とかっていうのは国家資格じゃないんですね。
国家資格じゃなくて民間資格で、民間資格ってことは民間団体がこの人はこうだって認めてくれたらその時点で資格が発行されるんですよ。
だから極端な話今ご覧になってる7人のみなさんの中にももしかしたら整体の仕事をされてない方もいるかもしれないですけど、極端な話いまからあなたが「私は整体師です」って言えば整体師になれるんですね。
民間資格だから。
例えば鈴木さんていう方がご覧になってるとして、鈴木整体なんとかなんとかみたいな、鈴木整体研究所みたいな、例えば作ったとしたらそれは成り立つんですよ。
っていう、ちょっとね、業界なんですよ。
だけど当然資格だけ持ってても実際お客さんの役に立てなかったらなんの意味もないので、当然民間資格をいっぱい持ってるからといって使えないとなんの意味も無いので。
そういう意味では実力至上主義の世界です。
だから資格云々は全く関係ない。
逆に言うと。
持っててもどれぐらいの価値があるかどうかなんて分からないから。
国家資格っていうのは明確な基準があるじゃないですか、ちゃんと。
みんなが同じ試験を受けてこれにパスしないと国家資格、3年間の同等の教育を受けて最低レベルの成績を修めて試験でもちゃんと同じ課題をクリアしないと国家資格は得られないので、国家資格っていうのはまあ、最低限これぐらいの知識はあるっていうのは認められてる資格なんですけど、整体ってのはそういうの一切無いんですよ。
ほんとに。
例えばね、リフレクソロジーとかっていう足裏マッサージだと一日セミナー受けただけでなんとか協会認定リフレクソロジストみたいな認定証が発行されたりするような世界なんですね。
私達の世界って。
だからね、知っておいてほしいのは、整体とかねリラクゼーション系は認定証、どんな資格を持ってるとか認定証がどうとかそういうのはね、関係ないです。
はい。
もちろん今まで実績を残してきて世間的にも民間資格だけどすごく認められてる協会の資格だったらやっぱそれなりの価値はあると思いますけど、基本的にはそうなんですよ。
そういう状況なんですよ。
っていうことは、教える資格も要らないっていうことなんです。
民間資格って。
教える資格も要らないっていうことなんですよ。
だから僕は整体の専門学校で働いてたんですけど、その学校がこいつを講師として送り出すっていうふうにやれば講師になれちゃうんですね。
僕は講師として育てられたんです。
ははははは(笑)。
これすごい話ですよね。
これ学校の生徒が見たらちょっとどん引きするかもしれないですけど。
講師として育てられて。
ただね、そこで学長が買ってくれたのは、講師補助のバイトを二人募集してたんですけど、その時。
もう一人の方も今も働いてますけど。
そうね、30人ぐらいの応募があったらしいんですよ。
まず履歴書をFAXで送ったんですけど、履歴書の応募だけで20人から30人ぐらいの応募があったらしくて、その中で面接を10人ぐらいやって、選ばれたのが僕ともう一人だったんですけど、選ばれた基準がね、大学だったんです(笑)。
筑波大学。中退。
うちの学長は関東の人なんですけど、筑波大学、おー筑波大学、しかも体育学部だったので筑波の体育だったらそれなりに体のこと知っ
てるだろうってことで面接に呼んでくれたらしいんですね。
だから僕大学辞めちゃったんですけどなんか、きっかけとしては筑波大学中退っていう、これ学歴になるのかどうか分かんないんですけど、まあそれが活きたんですけど。
分かんないですね、話がね。
まあまあそういう感じで講師として育てるための教育を受けてたんですよ。
これね、すごくおっきいと思いません?
例えば、僕が整体学校に学生として入学したとしたら、違った展開になったと思うんですよ。
僕はもう最初っから講師になるための教育を受けてたんですね。
この違い分かります?
学生として入学させてお客様に気持ちいい施術とか、いい施術を出来るようにってことで教育を受けるのと、そういう人達を育てるための人になるための教育っていうのは質が違うんですよ。
質が違うし、こっち側のモチベーションも違います。
うん。
やっぱね、これはもう確実にそうなんですけど、人に教えるっていうこと以上の学びっていうのはないんですよ。
ほんとに。
だから皆さんもね本を読んだりセミナーを受けたりその他諸々学ぶっていう機会があったら、それをね人に教えるんだ、自分が人に教えるんだっていう気持ちで学ばれるといいと思います。
全然違いますから。
入り方。
だって教えなきゃいけないんですよ!
今自分が聞いてあーあーって分かったつもりになってるだけじゃ人に教えられないので、人に教えるためにはこうしなきゃいけないっていうことが前提で学ばなきゃいけないので、僕はもうとにかく必死でした。
必死でした。
試験も厳しいですやっぱり。
学生にやる試験よりも講師になるための試験の方がよっぽど厳しいですよね、当然。
だから、ラッキーはラッキーなんですけどすごくきつかったですよ。
すごくきつかった。
でも僕はもうほんとに努力して、なんとか。
なんで努力したかっていうと、整体が楽しかったからどうかじゃなくて、僕はそのさっきちょっと泣いちゃったあの学院長の一言がすごく心にあってですね。
僕はこの人のために一生懸命働きたいと思ったんですよ。
単純で。
必要としてくれてる人が一人でも、こんな僕でも必要としてくれる人がいるんだったら僕はこの人のために働いて、この人の役に立つような仕事がしたいと思ったんですね。
今でも思ってるんですけど。だからね、いまは結構個人で、学校以外の活動でセミナーやら施術、お客様の施術やらいろいろで、結構仕事の幅が広がってきて、結構ねいろんな人から独立しないの?とかひとりでやったらいいのにとかって言われるんですけど、僕はね、その面接のときに言われた学長の一言がずっと心に残ってまして。
いまはそのバイトから入ったんですけど、結局いま僕主任講師みたいな立場になってるんですよ。
スタッフ10人ぐらいいて、一応まとめ役っていうか。
そういう形にまでさせていただいてて。
自分で言うのもなんですけど、すごく学校にとって必要とされてるというか必要としてくれてるんですね、学校が。
そういう状態で自分の仕事がやっとうまくいくようになったから辞めますなんて出来ないですよ。
やっぱり。
できないし、別にやろうとも思わないです。
思ったこともありますけど、ちょっと(笑)。
調子に乗ってちょっと思ったこともありますけど。
僕はこの学長が拾ってくれなかったら今頃どうなってたか分かんないので、その学長がね必要としてくれるうちは、僕は学校のために働きたいっていうのはあります。
いまでも。
そういうことは置いといて。
そうやって少しずつ積み重ねてきて、少しでもやっぱ学校で入学してくる学生に対して、少しでもいい授業をして、その卒業生達が世の中で貢献できるようになってくるっていう、そういう人材を育てることが僕は学長への恩返しだと思っていたので、とにかくいいものを提供できるために自分になにができるんだろうっていうのを必死で模索してきました。
もっといい授業をするために、いい授業ってのはいい整体師を育てるためにということなんですけど、それを育てるためにはどうしたらいいかってことを必死にやってきたこの5年間、もう5年半ぐらいになるんですけど。
だからあのね、自分で言うのもなんですけど、僕が、僕一人がいい整体師になるために勉強していた質よりは何倍も質がいい勉強をしてきたっていう自負があります。
僕は。
僕自身がいい整体師になるためじゃなくて、いい整体師を送り込むためにどういうノウハウを伝えていかなきゃいけないか、どういうスキルが必要かっていう価値観で、さっきも言ったように教えるために勉強してきたので、当然自分の技術を高めるためにやることも一緒にやりましたよ。
自分の技術が高まるだけじゃなくてその技術を人に伝えられるようになるっていうために僕は勉強してきたので、そういう意味ではじゃあこれから整体師になろう、自分が整体師になろうと思って入学して勉強して、自分の技術のためにっていうだけの5年間だったら多分僕はいまの状況はなかったと思います。
だから、すごく教えるっていうのはとっても自分の成長のためにはとても役に立つことだと思ってますね。
そうこうしてるうちに、さっき僕医学部の勉強の合間に整体学校っていう話をしましたけど、医学部っていうのが消えてたんですよ。
頭の中から。
整体の今の学校も最初は週3勤務の一日5、6時間ぐらいからやってたのがだんだん週4になり週5になり。
そのうち授業も持たされるようになりっていうふうにやっていってるうちに、あれ?俺医学部行きたいって思ってたよな、そういえばって感じで、だけどもういいや、と思ったんですね。
なにより人間としては僕のことを必要だって言ってくれた学長のために恩返しがしたいっていう気持ちもあったし、楽しくなりはじめてました。
やっぱり整体に関して。
やっぱ僕がやりたいのは西洋医学じゃないなというのは、なんとなく思って。
西洋医学じゃなくてもっと根本から体を整える、要は出て来た悪い症状を化学反応でどうにかして抑えるっていうことじゃなくて、ほんとに自分の体っていうのを根本的な部分から立て直して、ほんとの、なんていうんですかね、体の健康っていうものを手助けしたいなって思って。
整体でそれが出来るっていうのが分かってきたんですね。
その、一生懸命勉強してるうちに。
別に医者と比べてどっちが上か下かとかそういうことじゃなくてどっちも必要な仕事だと思うんですよ。
まだまだ世の中的には病院のお医者ていうのが体っていう面ではトップにいますよね。
だけどそうじゃないなって、僕は思って。
お医者さんが必要じゃないっていう意味じゃないですよ。
やっぱ体の調子がおかしくなってっていうときはお医者さんは絶対に必要な方なんですけど、逆に整体師だからこそできることっていうのもあるなって。
医者には出来ないけど整体師に出来ることっていっぱいあるんですよ。
あるんですよ。
病院じゃどうにもできないけど僕らにしかできないことってあるんですよ。
でね、そっちのが楽しいなって思ったんです。
楽しいっていうかね、やりがいがある。
そっちのがやりがいがあるって思ったんですね。
人の体っていうのは、調子がおかしくなるっていうことは簡単に一言で言うとバランスが崩れてるっていうことなんですよね。
なんかの。
バランスが崩れてるものを整えるっていうのが僕は整体師だと思ってるんですけど。
それをやることにとても楽しさを、楽しさというかやりがいを感じられるようになってきまして、それでもうはまりました。
そこからガツンと。
それが今に至るっていう感じです。
もう一時間近く語ってますね。
7人の方が見てくれてますけど。
もう自己紹介はこの辺にして。
結構ね、コンプレックスの塊でほんとにひねくれてました。
性格が。
ほんとに。
コンプレックスの塊でほんとに自分に自信がなくて、根本的なところでは。
根本的なところで自分に自信がないから、でもそれを人に悟られたくないし、なにより自分でそれを認めたくないんですよ。
自分が劣った人間だってことを。
そもそも劣った人間だって決めつけてるのも自分自身なんですけど、その自分が劣った人間だっていうのを自分で認めたくないから外側で装飾しようとしたんですね、いろいろと。
その一つが学歴とかだったわけなんですけど。
そういうね、自分を装飾する外側の条件まで全部失って、そのときにねやっと一番大事なものはこれだな、こういうことなんだなっていうことが分かったので、だからね、良かったですよ。
苦しかったですけど。
そんなね、収入とか学歴とか身長とかルックスとかそんなことじゃない。
人の価値は。
ていうのが心から気付けたからすごく良かったです。
なんでこんな話になったんですかね。
あーまあまあまあ、まあいいや。
整体っていう仕事をやっていくステップがありまして、うちの学校はもちろん骨格調整とか骨盤の調整とかね背骨の調整とかそういうのもあるんですけど、メインのカリキュラムではないんですよ。
まずはこういうのを最低限できるようなっていうのは筋肉のほぐしなんですね。
うちの学校で教えてるのは。
リラクゼーションマッサージって俗に言われてる筋肉のほぐしによって固くなった筋肉をゆるめることによって体の自然治癒力を引き出そうみたいなことが一応基本としてあるんですよ。
そのリフレクソロジーとかタイ式マッサージとかいろいろあるんですけど、アロマもあるし。
あるんですけど、まずは僕はそれをしっかりできるようにっていうことで技術の練習を猛特訓をしました。
いっぱい。
学校でも特訓したし、仕事してないときは友達とか親戚とかその他知人を呼んで、もう出来るだけ人の体を触るという時間を作ってました、年中。
人と会えないときはタオルとかクッションとか自分の体とかを使ってとにかく量稽古をして、ある程度筋肉をほぐすっていうことが技術的にはちょっとまあまあ出来るようになってきて、その次のステップとしては、まず筋肉のほぐしが出来るようになりましたと。
そしたらやっぱり理論も大事なんだなと。
例えば触ってただここが固いからほぐすだけじゃなくて、もっと体のことを知ってメカニズムを知ってってやったほうが効果的だよなってことに気付いて、そこから理論的なこともしっかり学ぶようになりました。
もちろんそれまでも筋肉の名前とか骨の名前とかそういうのは勉強してたんですよ。
だけどその解剖学の知識ってのがリラクゼーションマッサージに生きてなかったんですよ、全然。
例えばももの裏にはこういう筋肉、例えば大腿二頭筋(だいたいにとうきん)と半腱半膜様筋(はんけんはんまくようきん)があ
りますと。
この半腱半膜様筋(はんけんはんまくようきん)はここからここにくっついててこういう仕事をしますっていう知識はあったんですよ。
だけど、それをね、マッサージに、整体に生かす方法がいまいち分かってなかったんですよ。
恥ずかしながら。
情けない。
分かってなかったんですね。
ただ筋肉の名前とかそういう体の機能とかそういうのを知識として知ってて、それをねボディケアーにどうやって組み込んでいくかっていうのが分かんなかったんですけど、それが少しずつ出来るようになってきたんですね。
次のステップとして。
ここが固いからほぐすとかここが痛いからここをゆるめるとか、それだけじゃなかなか人の体って根本的に良くなっていかないなあってのがあったので、どういう風に体を触っていけばいいのかなっていう次のステップとして機能解剖学というか、体は例えばこういう動きがつらいってことはこの筋肉がこうなってるからって、やっとつなげられるようになったのが次のステップで、そういう感じでいろいろなんとか療法とか、ありますよね、整体の世界でも。
なんとか療法みたいなことをいっぱい勉強して。
沖縄にはそういう専門的なセミナーがないので大阪とか東京とかどんどん出て行って勉強して。
ある程度僕の手によってお客様の体の状態を整えるってことが少しずつ出来るようになってきて。
その次のステップ。
まあ、はしょりますけど、いまやりたいことですね。
本当にやりたいことっていうのは、結局ね、整体師がどんなにゴッドハンドを身につけて体を楽にしてあげたとしてもそこはゴールじゃないなって僕は感じているんですね、いま。
もっと言うと、あのね、体調不良っていうことは、よっぽど急性的なことじゃない限りね、事故にあったとかそういうことじゃない限り日常生活のそのちょっとした悪い癖というか体に負担がかかっていることの積み重ねによって起きた不調、慢性症状っていうのは、その人が作ったものなんですよ。
生活の中でね。
その人が作ってきたものが体に素直に出てきてるっていう状態を例えばゴッドハンドの整体師がそれをパンとこう治しちゃったとしますよね。
当然痛みが取れるから嬉しいですよ。
そりゃ。
だけどね、それはほんとにその人のためになるのかなっていうのがあってね。
例えば、僕もアトピーで苦しかったって言いましたけど、いまでもちょっと残ってるんですね。
それでやっぱ生活が乱れてきたりとかその他諸々精神的なストレスがかかった時とか疲れが溜まった時というのは症状が悪化してくるんですけど、それを例えばすごい整体師さんがいて、例えばですよ、腰痛とかをアトピーに置き換えてアトピーをパッと治せますっていう整体師がいたとします。
僕が生活が乱れてストレスがたまって疲れがたまってアトピーが酷くなってきたっていうのをそこの整体にいけばパッとアトピーが治まるっていう状況があったときに、それは本当に僕のためになるのか?
っていうことなんですよ。
なると思いますか?
それはね、別に正しい間違えてるじゃなくて価値観の問題なので一概に正解はないところだと思いますけど、僕はね、なんか理由があって体調が崩れてるのにそれを第三者の手でパッと治してしまうっていうのは僕はねえ、長い目で見たらその人のためにならないなっていう風に思うんですよ。
僕の経験上。
体の経験上。
僕も本当に体のことでは辛い思いをしてきましたけど、それによって得た財産ていうのはすごくあるんですね。
僕ねたぶんね、体のことでそんなに悩みが無いままで、例えば整体スクールとか僕が入学したとしても今のような状況には絶対なれなかったと思います。
やっぱね、アトピーっていうとね、まあみなさんもなんか、なんとなくイメージもわくと思いますけど、あの健康食品がいいだとかこれがいいだあれがいいだっての周りの人が本当に言ってくるんですよ。
いろんなことを。
それは善意なんですよ。
善意で。
本当にこれがいいあれがいいって僕ら家族はそれに振り回されてました。
正直。
はい。
振り回されてましたね、完全に。
いろんな療法試して、試して試して試して、いろんなことをやってきて。
それでね、なんとなく思考レベルじゃなくて経験として健康の本質的なことっていうのが僕なりの気付きがあってですね、やっぱりねモノとかに頼るっていうのはゴールではないなっていうのが。
モノっていうのは特別なモノね。
これをやれば治るとか、そうじゃなくてやっぱ当たり前にやっている日常生活レベルの体の使い方だったり食事だったり、そういうものをしっかり整える基盤を作ることっていうのが王道で、そこがちゃんといってないのになんか特別なモノ、モノじゃなくても人、そのゴッドハンドの整体師とかね、に頼るっていうのは僕は本質じゃないなって感じてまして。
むしろね、その人の生活の乱れが原因で体調崩しているのにゴッドハンドで治してしまったら、その人の重要な気付きを奪ってしまうような気がしてるんです。
偉そうにすいません。
当然ね、取っ掛かりとしてはいいと思うんですよ。
もう腰が痛くて動けないのにそこからいまのこの辛い状況で生活の習慣を直しましょうとか体の使い方を直しましょうとか姿勢をきれい
にしましょうって言われたって、もうこんなにきついんだからそんな余裕無いわよっていう状態は確かにあります。
あります。
たしかに。
だからまずはこれがきつくてどうしようもないからっていうのを軽減させてあげるっていうのは、やっぱ僕ら整体師の仕事としては必要な仕事ではあると思います。
間違いなく。
でもそれによってちょっと痛みが軽減したんだったら、じゃああなたはこういう原因で痛くなったんだよっていうことをちゃんと知ってもらってそれを整えていく、本人が自分の自覚の下に整えていくってことが僕は最終的にはその人のためになることだと思っているんですね。
だから別に自分がやってる整体とか否定してるわけじゃないですよ。
必要だと思います。
悪い癖が、体の使い方一つにしても悪い癖があるっていうことをいきなりね、自分で直せって言われても無理がある場合が多いんですよ。
だってその癖っていうのは自分で自覚しないでやっていることなので、自覚してやってることじゃないことを直せってどうしたらいいのっていうことになってしまうこともあるんですね。
ほんとに深い癖だと。
それをね、いきなり運動指導だけでどうにかしようってなるとなかなかうまくいかないことも多いです。
多いです。
はい。
だから僕がやりたいことは悪い癖があってそれを自分の力だけでどうしようも出来ないときはその癖を修正してあげる手助けはこちらの手技とかコンディショニングでやってあげて、ある程度癖が直った、例えば腸腰筋(ちょうようきん)っていう筋肉がうまく使えないっていう体の状態に
なっている人がいたとしますよね。
腸腰筋(ちょうようきん)ていう筋肉がうまく使えないっていう状態の人がいてその人に、「いやーでも腸腰筋(ちょうようきん)ちゃんと使って体を使うことが大事だよ」って言ったところで使い方が分からないんですよ。
その人は。
うまく使えないからそうなってるのに、「いやー腸腰筋(ちょうようきん)ちゃんと使っていきましょう」って運動のフォームとかをいきなり教えたところでできないわけですよ。
ちゃんと。
そういう時に、整体師、スポーツトレーナー、コンディショニングトレーナーとして、その人の腸腰筋(ちょうようきん)がちゃんと働くように体を触ってあげて、骨盤整えたりなんやかんやしたりして、ちゃんと使えるような状態の、リセットした状態に持っていってあげるっていうのは僕は大事だと思います。
とても。
だから僕は運動指導だけでどうにかできるとは思ってません。
特に問題が深ければ深い程ね。
だけど、私達が整えてあげて一時的に楽になりました。
それでオッケーかっていうと、さっきも話したようにそれはその人にとっての気付きにならないし、ほんとの意味でその人が変わるってことにはつながらないんじゃないかなって思ってるんですね。
だから、あなたの体はいまこういう状態です。
だからこういうことが必要ですっていうのをちゃんと知ってもらって改善していきながら、じゃあここがうまく使えてなかったからここをちゃんと使えるような体の使い方を覚えていきましょうねっていう風にもっていってますね。
僕は。
コンディショニングでは。
腰痛でも肩こりでも生理痛でもむくみでも、なんでもそうです。
その原因ていうのはほんとに様々あるので、それはまた今度USTREAMではこういう僕の考え方じゃなくて具体的なお客様へのアプローチの仕方みたいなことをまたUSTREAMでやりたいと思ってるのでそれご覧頂きたいんですが。
まあ問題は、そこは今日はちょっと本題ではないので。
考え方なので、最終的にはやっぱり本人が変わらないとなかなか難しい。
っていうことに気付いたんですよね。
気付いたんですけど、それによって勉強して、この人はこういう原因で体調が崩れてるからこれをこうすれば良くなるっていうのが知識として身に付いたんですよ。
勉強して。
正しい方向というか、ある程度ですよ、全部治せるっていうわけじゃないですけどある程度、こういう人だったらこうしたほうが良くなるなっていうのはスキルとして身に付いたんですね。
身に付いたんですよ。
いまはね、その次のステップになってて。
ここがいまの僕の課題なんですけど、この人はこうすれば良くなるっていうのは分かったけどそれをねほんとにその人に分かりやすく伝えて、分かりやすく伝えて、伝わった上で実践してもらわなきゃいけないんですよ。
やり方を知ってるだけじゃ変わりません。
当然。だから僕はやり方は分かった、とします。
やり方が分かったら、今度は分かりやすく伝えるっていう技術が必要なんですよ。
ああなるほどね!私の体こうなってるのね!ってこう分かりやすく伝えるってことが大事、伝えて自覚してもらうってことが大事で。
自覚してもらうためにはやっぱ言葉の説明だけじゃなくてちゃんとこっちで体を触ってあげてガイドしてあげたり、本人に体を使ってもらって、ああいま自分てこういう状態なんだなっていうのを感覚で理解するというか、感覚でちゃんと納得しないと、理屈だけではなかなか伝わらないなっていうのがあるので。
だから僕のセミナーとかワークショップっていうのは結構実技というか、体を使うことが結構メインになってるんですが、ちゃんと正確なやり方が分かったら今度は伝えて感じてもらう。
伝えて感じてもらってああなるほど私の体はこうした方が良くなるんだっていうステップまでもなかなか最近クリアできてきたかなっていう自覚はあるんですけど次のステップが一番難しいんですね。
ちゃんとした方法論が分かって、相手に分かりやすく伝わって納得してもらったら、それを続けてもらわなきゃならない。
実際行動して続けてもらわなきゃいけないんですよ。
これが一番難しい。
これはいまの僕のテーマでもありますね。
僕はいま、それをテーマにしてセミナーとか授業をやっています。
もちろん日々のお客様の施術も。
自分で言うのもなんですけどある程度この人はこういうことをやった方がいいなっていう方法論は探すことが出来るようになってきたし、あなたはここがこうですよっていうのをちゃんと伝えて感じることも出来るようになってきました。
だけどそれをね実際行動して続けて本当に変化を起こすっていう、このモチベーションを引き出すっていうことがちょっと僕のまだテーマかなっていう感じがするんですね。
だからそのためにいまちょっと心理学的なこととか勉強しておりますね。
いくら正しい方法を知っててやった方がいいなって分かってても、やっぱ人っていうのはなかなかそれで実践続けられるほど自分に厳しくないです。
僕も含めて。
そうなのでこういう脳内物質とかあと潜在意識とかそういう勉強もしております。
ということで僕は、自己紹介結構いろいろ込み入ったこともしましたけど、まあ3割ぐらいですね。
あれで。
出したのは。
もっといろいろいろんなことあったんですけど、いろいろ体のことで経験してきてそれで気付いたことを少しでも多くの人に伝えて。
僕は姿勢をきれいにしたり呼吸を深くしたりとか肩こりや腰痛が楽になったりとか、そういうのは手段にしか過ぎないと思ってるんですね。
手段。
分かりますかね?
腰痛が楽になるとか肩こりが楽になるとか冷え性が楽になるとか体が良くなるっていうのは手段だと思ってるんですよ。
きっかけ。
なんのための手段かっていうと、自分が幸せになるためですよ。
結局人っていうのは幸せを感じたいわけで。
だからその、あー幸せだなって思ってもらうために例えば腰痛とか肩こりは無い方が感じやすいと思うんですね。
体の調子がいいほうが、どっちかと言ったら幸せは感じやすいと思うんですよ。
ただそれだけのことで、だから別に幸せを感じられるんであれば手段はいくらでもありますよね。
おいしいもの食べた時でも幸せだし。
だけどその、ほんとの幸せってなんだろうなって考えたときに、やっぱりね、人に依存して良くしてもらうっていうことじゃなくてほんとに自分で自分を見つめ直して、自分と向き合って、それで自分のテーマを克服してっていうのが僕はほんとの幸せだと思っているんですよ。
だからそういう意味では僕はゴッドハンドの整体師でもないですけどいまも、そこまですごい腕は持ってないですけど、もしそうだとしてもゴッドハンドの整体師で終わりたくないんです。
なんのためにこの仕事をしてるかっていうとやっぱり、多くの人に幸せに、あー幸せだなとか、自分のことをほんとに好きになってもらったりとか、自分のことを本当に受け入れられるようになったら周りの人のことも受け入れられるようになって人間関係もすごく円滑になったりしますし、すごく人生がねいきいき、楽しくなるというか、生き甲斐のある人生になると思うんですね。
ほんとの意味であー幸せだなとか自分のことほんとに好きになったりするっていうのはやっぱり、問題から目を背けるっていうことはねそれを遠ざけると思うんですね。
人って、ほんとはこうした方がいいのになっていうのはみんな分かってるんですよ。
心の奥では。
ほんとはこうした方がいいのになって心の奥で分かってることを、でもそれが出来ない。
やりたくない。
っていうことで理屈で封印しちゃうんですね。
やらなくてもいい理由を作り出しちゃうんですよ。
頭で考えて。
ほんとはこうした方がいいの分かってるのに、でも私はこうだからとか、やらなくていい理由をいくらでも作り出しちゃうんですね。
大人になると特に。
僕もそうだけど。
だけど人ってほんとはこうした方がいいなってのがちゃんとほんとはみんな分かってて、それっていうのはやっぱり、自分の体にできた、慢性的にできた不快な症状っていうのをやっぱり自分の生活を見直して根本的に良くしてった方がいいよなっていうのはたぶんみんな分かってるんですよ。
ほんとは。
心の奥では。
分かってるけど、それがなかなか出来ないからじゃあ楽に、この痛みとか不快感が取れる方法はないかって考えて、誰かに治してもらうことだけを考えたりとか、なにかモノに頼ることだけを考えたりとか、そういう風になっちゃってると思うんですね、僕は。
だからさっきも話したようにきっかけとしてはいいと思うんです。
ほんとに辛い症状を軽減させてあげるきっかけとしてはいいと思うんですね。
自分でどうしようもないことを助けてもらうことは僕は重要だと思ってます。
だけど、ほんとに自分を信頼できるというか、ほんとに自分に自信が持てて自分のことを好きになるためには、結局やっぱ最後は自分に降り掛かったテーマっていうのは自分の力で改善していくことに、僕はほんとの喜びがあると思ってるんですよ。
そうやって自分がやってきた行動の結果こう変わったっていうのがすごく喜びにつながると思うので、僕はそういう状態まで持っていきたい
なっていう風に思ってます。
理想的には。
だから最終的にはセルフケアをちゃんとしましょうっていうところに力を入れていまして。
別に健康になりたくない人はならなくていいと思うんですよ(笑)。
やっぱ生き甲斐っていうのは人それぞれ違うので、自分はジャンクフード食べていっぱい食べて運動なんて面倒くさくてやらなくて、それでいいんだっていう人はいいと思うんですけど、でも心の奥で今の自分をちゃんと立て直したい、もっと自分に向き合って自分を大切にしたいと思ってる人がいるんだったら、その人の気持ちをちょっと掘り起こすようなことをして、ほんとに自分がこうなりたいっていうのをちゃんとそれに向き合ってもらって、それが自分の体を整えることであれば、それのお手伝いがしたいなという風に思ってます。
そういう風な価値観で仕事をしていますね、いまは。
うわーもう1時間20分も話してしまいましたが、なんかみなさんないですか?
質問とか。
質問するような内容じゃなかったですかね、今日ね。
もしtwitterと一緒にやっている人がいればこの横の画面でつぶやいていただければ見れるんですけど。
特にないですかね?
まあまあそんな感じでですね、良かったです。
結果的には。
あの、アトピーに生まれて。
しかも結構重症なアトピーに生まれて。
良かったです。
そうじゃないとね気付けなかったことというのがあるので、どんなに話を、人の話を聞いたり頭で考えたことでも経験したことには勝てないと思うので、そういう意味では僕はすごく貴重な経験ができたなあと思ってますね。
こうやって話をさせていただいた上で、すごく初心を振り返るきっかけにもなりましたし、まさか途中で泣いちゃうとは思わなかったんですけど(笑)。
やっぱ僕、学院長ってのは僕にとっては人生のキーマンですね。
本人は覚えてないかもしれないですけど。
だからそう考えたらね、偉そうに言える立場じゃないですけど、みなさんもすごく、やっぱね自分に自信がないっていう人多いと思うんですよ。
すごく自分に自信がないっていう人多いと思うんですけど、何が満たされてないかっていうと自己重要感っていうんですか?自己重要感。
自分のこと、自分を重要に思う気持ちが結構根本的に不足してるというか。
だからね、人がどういうときに自己重要感を感じるかっていうと、僕は人に必要とされてるときだと思うんですね。
だから僕はなんで人は生きるのか?なんのために生きてるかっていうと、人に必要にされる。
それはなんて言うんですかね、もっと違う言い方すると人の役に立つために生きてると思うんですね。
そうやってみんなが人のためになるようなことを、自分の得意なことでね、別にそれはお金が発生することじゃなくても。
例えば見知らぬ人に笑顔を振りまくとかも人のためになるじゃないですか。
小さいことを言えば。
だからこうやって周りの人の役に立つってことをみんなが意識して生きていれば自然にいい世の中になるのかなあと思うんですけど、そういうのがねやっぱ圧倒的に不足してると思うんですよね。
僕もそうです。
学校に面接に行ったときも、自分なんてなんの価値もなくて自分なんかが人の役に立てるわけがないと思っていたんですよ。
人の役に立つどころかもう、いい歳して親のスネかじりっぱなしで、親に経済的な負担ばっかりかけて、自分は社会になんの貢献もしていないっていう最悪な状態だったんですけど、そのときに、その、あなたみたいな人が必要なんですよって言ってくれた一言が僕の人生を変えたんで
すね。
ほんとに。
大げさじゃなくて。
また泣きそうですけど。
だからね、人ってほんとに、誰かに必要にされるっていうことがないと頑張れないと思うので、逆に言うと誰かのためにっていうのはすごく頑張れると思うんですね。
だから自分のためにじゃなくても誰かのために頑張る。
でもそれが、誰かのために頑張ることが自分をほんとに犠牲にしてることだと続かないし、自分の身を削るだけだと思うので、ほんとに自分が楽しいことで誰かの役に立つっていうことを続けていくと絶対みんな幸せになれると思ってます。
そういうことってのはたぶんみんなそれぞれもう持ってる、気付いてるか気付いてないかっていうのはあるかもしれないですけど、ほんとは持ってるんですよ。
みんな自分はこれが得意でほんとに自分が得意なことをやることで人を幸せにするとか人の役に立てることってのはみんなそれぞれ持ってることだと思うので、僕は5年前に自分がそんなの持ってるなんて思えなかったけど、まさかの幼少期から苦しまされてきたアトピーが僕のそのきっかけだったんですよ。
僕にとってのプレゼントだったんですよ。
僕が人様の役に立つために必要な経験として与えられたものが重症のアトピーだったんですね。
だからね、ピンチはチャンスとかそういう安っぽいことは言いたくないですけど、ほんとにいま自分が苦しんでいることとかが、もしかしたら人の役に立つために必要な経験だったりするかもしれないし、もっと言うと、もっと言うと、まあいいや(笑)。
だからね、自己重要感を満たすっていうのはとっても大事だと思いますね。
だから周りの人の自己重要感を満たしてあげるような接し方をする。
あなたは私にとって必要なんですよ、世の中のためにとかそんなおっきいことを言わなくてもあなたは私のために必要なんだってことを伝えていくことで、周りの人がすごく生き甲斐をもって生きていくことが出来るんです。
ほんとに一人の一言が人生を変えることだってあるわけですから。
僕を見て分かると思いますけど。
それもそうだし、あとはやっぱり自分自身に自己重要感をしっかり持つことも基本として大事なんですね。
だから例えばダイエットで言うと、なんかダイエットサプリとかを買って日常生活を変えないでダイエットサプリを買ってそれで安易に痩せようとすることが本当に自己重要感を高めることにつながるかって考えてほしいんですよ。
高まらないと思うんですね。
やっぱり自分で自分のテーマに向き合ってそれをちょっと苦しいかもしれないけど、それと向き合って、ほんとに自分で克服して変わったっていうときに、ほんとに自分の存在がすごくかわいくなるというか、愛しくなる。
ほんとの意味で自分がほんとに大事な存在だって思えると思うんですね。
だから僕は仕事でそういうお手伝いがしたいなと。
自己重要感、ほんとの意味での自己重要感を高める。
そのためにはね、やっぱ自分とちゃんと向き合う、誰かに治してもらうんじゃなくて自分で向き合って変わるっていうのがとっても大事だと思っているんで、そういう想いで仕事をしてます。
Sさん、ありがとうございます。
ありがとうございます。
整体師になりたくなりました。
なりましょう!
はははは(笑)。
なりましょう。
ちなみにうちの学校はおすすめです。
なぜなら、僕がいるから(笑)。
すいません、調子に乗りました。
整体師、まあ整体師じゃなくても今やってる仕事で十分自分や周りの人の自己重要感を高めるってことは可能だと思うので、そのために自
分がなにができるかっていうのを考えてたら、考えてそれを実践に移していけば、ほんとに何より自分自身が結果的に満たされると思います。
何より自分自身が満たされると思うので、だから、自分や周りの人のほんとの自己重要感を高めるためになにができるかなっていうのをちょっと考えてみてですね、それで、偉そうにすいません、ほんとに。
考えてみて、それでひとつでも実行してみて下さい。
90分も喋っちゃいましたけど。
僕ね、学校の授業が90分一コマなんですね。
だから90分喋るっていうのが僕の中に、潜在意識に備わっているのかもしれないですね。
ということで、まああとね、ちょっと興味のある方は僕のブログも読んでいただいたり、twitterされている方はほんとに仲良くして下さい、これか
ら、よろしかったら。
また、自己紹介はこれくらいにして、想いは十分語ったので、今度からは具体的にじゃあ体を整えていくためにはこうした方がいいよみた
いな方法論とかそういうことも無料配信でもできればいいと思ってますし、あと過去のUSTREAMのなんていうんですかね?
データにも残ってますので、ダイエット講座とか。
良かったらご覧になってみて下さい。
はい、じゃあそろそろ締めたいと思います。
はい、今日は8人の方いまご覧になっていただいてますけど、90分という長い時間どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ放送を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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長っ!
ちなみに最後の方に出てくる「Sさん」
生配信中にコメントをいただいて、
絡ませてもらったと思うのですが。
今でも定期的に、
うちの店にメンテナンスに通っていただいています。
いやぁ、本当にありがたいご縁だなと思います。
そして、自分でこれを読み返した上で、
10年前の自分に、言いたいこと。
「わかったから、ちょっと肩の力抜けよ」
まぁでもあの頃はそのテンションでよかったのかもしれませんね。
伝えたくて伝えたくて、しょうがなかったんですよね。
本業で整体スクール講師をやりながら、
副業で個人的にセミナー開催もしながら、
このブログを書きながら、
頻繁に動画配信までしていたんですからね。
あの頃の膨大なアウトプットがあったから、
今の自分がいるのかもしれません。
ありがとう、10年前の自分。
そして、
3万字の文字起こしをしていただいた、
お会いしたこともないアナタ。
10年越しのお礼になってしまいますが、
改めて、ありがとうございました。
そして、
もし3万字すべて読んでいただいた方がいたら、
ありがとうございます。
ではでは。
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Posted by 照喜名 弘彦 at 22:22