2022年11月24日
言葉を感じる
心が弱りきっているときのポジティブな言葉ほど、
ウザいものはないですよね。
「乗り越えられる試練しか与えられない。」
とか。
「病気は自分で選んだ。その病気になることで体験したいこと・気づきたいことがあった。」
とか。
うるさい。
ほっといてくれ。
お前にはおれの気持ちなんかわからない。
ココロもカラダも弱り切っていた頃の僕だったら、
そんな言葉に対して、
そんなことを思っていたでしょう。
でも、いまはわかるようになってきたのです。
そういう言葉の意味が。
で、そういう言葉って、
アタマ(思考)やココロ(感情)で理解しようと思っても、
できないんです。
カラダ(感覚)で体感するものなのです。
スピリチュアル的なメッセージを発信されている方たちの言葉。
あれは感覚的なものを言葉に変換しているだけで。
あれを感覚でキャッチするのではなく、
思考や感情で理解しようとする、受け入れようとすると、
余計に苦しくなるだけです。
思考や感情では理解できない、
受け入れられないもの。
実はそういうもののなかに、
生きていく上でほんとうに大切なもの、
いのちの本質が隠されていることが多いです。
それに気づくためには、
思考や感情を鎮めて感覚を丁寧に感じ取る時間をつくり、
それを積み重ねていくこと。
「体感」を伴わない「上辺の情報」ばかりを仕入れていると。
どんどん「たいせつな気づき」から遠ざかってしまいます。

リラックスして、
お腹に触れて、
ボーっとしてみてください。
呼吸によってお腹が動いていますね。
ただそれを感じる。
呼吸や動きを評価したり分析したりしない。
ただただ、生命活動を感じることにフォーカスする。
難しいですよね。
思考や感情に支配されている人ほど、
難しいです。
アタマを使うのに、
考えることに、
慣れすぎてしまっていますから。
ほとんどの現代人は。
でも、カラダを感じる時間=思考や感情が鎮まる時間が、
少しずつ増えてくると。
人生の質が根本から変わってきます。
カラダがなにを訴えかけているのか、
自分が自分として生きていくのになにが必要なのか。
「感覚」でわかってきます。
僕もこうやって「言葉」を使って発信をしているのですが、
「言葉」で伝えられることには限界があるというか、
「言葉」にするとどうしても表面的になってしまいます。
「言葉の奥にある形にならないもの」を「感覚で感じとってもらう」
そういう伝え方ができたときに、
ほんとうに伝えたいことが伝わるのだろうな、
と思っています。
しらんけど。

◆プロフィール
◆施術のご案内
◆オンライン施術のご案内
◆お問い合わせ
ウザいものはないですよね。
「乗り越えられる試練しか与えられない。」
とか。
「病気は自分で選んだ。その病気になることで体験したいこと・気づきたいことがあった。」
とか。
うるさい。
ほっといてくれ。
お前にはおれの気持ちなんかわからない。
ココロもカラダも弱り切っていた頃の僕だったら、
そんな言葉に対して、
そんなことを思っていたでしょう。
でも、いまはわかるようになってきたのです。
そういう言葉の意味が。
で、そういう言葉って、
アタマ(思考)やココロ(感情)で理解しようと思っても、
できないんです。
カラダ(感覚)で体感するものなのです。
スピリチュアル的なメッセージを発信されている方たちの言葉。
あれは感覚的なものを言葉に変換しているだけで。
あれを感覚でキャッチするのではなく、
思考や感情で理解しようとする、受け入れようとすると、
余計に苦しくなるだけです。
思考や感情では理解できない、
受け入れられないもの。
実はそういうもののなかに、
生きていく上でほんとうに大切なもの、
いのちの本質が隠されていることが多いです。
それに気づくためには、
思考や感情を鎮めて感覚を丁寧に感じ取る時間をつくり、
それを積み重ねていくこと。
「体感」を伴わない「上辺の情報」ばかりを仕入れていると。
どんどん「たいせつな気づき」から遠ざかってしまいます。

リラックスして、
お腹に触れて、
ボーっとしてみてください。
呼吸によってお腹が動いていますね。
ただそれを感じる。
呼吸や動きを評価したり分析したりしない。
ただただ、生命活動を感じることにフォーカスする。
難しいですよね。
思考や感情に支配されている人ほど、
難しいです。
アタマを使うのに、
考えることに、
慣れすぎてしまっていますから。
ほとんどの現代人は。
でも、カラダを感じる時間=思考や感情が鎮まる時間が、
少しずつ増えてくると。
人生の質が根本から変わってきます。
カラダがなにを訴えかけているのか、
自分が自分として生きていくのになにが必要なのか。
「感覚」でわかってきます。
僕もこうやって「言葉」を使って発信をしているのですが、
「言葉」で伝えられることには限界があるというか、
「言葉」にするとどうしても表面的になってしまいます。
「言葉の奥にある形にならないもの」を「感覚で感じとってもらう」
そういう伝え方ができたときに、
ほんとうに伝えたいことが伝わるのだろうな、
と思っています。
しらんけど。

◆プロフィール
◆施術のご案内
◆オンライン施術のご案内
◆お問い合わせ
Posted by 照喜名 弘彦 at 10:33
│こころ